元亀動乱の京洛 編

元亀四年 三月二十三日 佐吉

僕と紀ノ介はすっかりおり紙にはまってしまった。
一番好きなのはツル。つばさを広げたすがたがきれいなんだ。ただ、もろいのが難点だけど。
紀ノ介はどんどん新しいのを考え出していく。
中でもすごかったのは、二羽のツルの背中どうしがくっついているもの。とても一枚の紙から出来ているとは思えない。
僕はすごく感心して手に取って見せてもらったけど、紀ノ介はただ黙ってそれをながめているだけだった。
どうしたのかな?

元亀四年 三月二十三日 大谷紀ノ介

佐吉がおつかいで出かけてしまった。明日には帰ってくるそうだけど。
ひとりでおり紙の新しい形を考えていると、全宗先生が入ってきた。
「万が一の場合は、この薬を服用してください」
「なんですか?これは?」
「解毒薬です」
全宗先生には僕の病のことはわかっていたらしい。
「これでも毒物の専門家ですから」
僕に気を使って、佐吉が留守のうちに渡してくれたことがうれしかった。

元亀四年 三月二十四日 佐吉

お使いの帰り道、柳生庄にまで足をはこんでみた。
家ではお上様が、先生は河原で釣りをしている、と教えてくれたので河原に行ってみた。
柳生先生は岩に座って釣りをしていた。
ただ、先客がいるらしくて、その近くで同じように釣りをしている人がいた。
筒井家の左近さんだった。
二人とも目もあわせず、何も口にせず、ただ黙って釣りだけをしているように見えた。
けど、不思議なことに、その川の流れが聞こえるだけの雰囲気が、すごく居心地がよくて泣きそうになってしまった。
柳生先生はその後、自分の魚籠を左近さんの籠に入れ分けて、帰っていった。
左近さんもお礼も言わず、ただにやっとしただけだった。

元亀四年 三月二十四日 増田

先日の騒動で腰を痛めてしまった。お陰で布団からも出られない。
佐吉に会いにも行けずふて寝していたら夢を見た。

夢の中では佐吉が儂のために千羽鶴を折っていた。
「はやくよくなってね」という佐吉に儂は感動で涙と鼻水と男汁が止まらなかった。

…目が覚めると布団がぐっしょり濡れていた。

元亀四年 三月二十五日 増田

今朝方、投げ縄の練習をしていると、尼寺の方から去っていく影を見かけた。
ちょうど動く目標が欲しかったので、そいつの首めがけて縄を投げた。
うまいこと首に引っかかり、そのまま野原や肥溜めの中に引きずり回した。
ちっこい体だったから、引っ張るのは楽だった。

……朝の出仕の時、とのの体調が悪いらしく、とのは一日中寝ていた。
ただ、立て札がかざってあって、
『 辞令
 増田甚右衛門 は本日より
 東の武田の動きを細作すべし』
……なぜかワシがまた密偵にされる羽目になってしまった。

元亀四年 三月二十六日 仙石権兵衛

近江永原の佐久間様から銭三千貫が送られてきた。 
小六の親分から、 
「すぐに佐久間どののところへ行け。しっかり三千貫ぶん働いてこいよ!」 
と永原へ向かうよう指示が出た。 
……ああ、三千貫っていったら、例の医者へ払う治療代かぁ。 
出兵があるらしく、むこうではすぐにでも来て欲しいそうだった。 
あいさつを済ます時間もなく、永原へむかった。 

永原ではいくさの準備であわただしかった。 
佐久間様にお目通りすると、すぐに京へ向かわなければならないらしい。 
また公方が背いて二条城にたてこもっているようだ。 
やれやれ、どうも、俺は京と足利の縁が切れそうにないなぁ。 

元亀四年 三月二十七日 増田

殿の命だ、やむをえん。再び武田領への旅だ。 
三遠のほうを回ったらいくさ場にぶつかってしまうのは目に見えているので、 
今度は船で敦賀から直江津に行き、あとは陸路で北信濃に入ることにした。 

敦賀。朝倉領だが、朝倉が弱っているのもあって港にも活気がない。 
酒も女もお稚児さんも買えなかった上にいつのまにかわしのことをつけているやつがいる。 
朝倉にかぎつけられたか。むう、せっかく京の薬売りに化けているのに。 
路地をかいくぐって逃げ、ようやく巻いたのを確認して直江津行きの船に乗りこんだ。 

夜。安酒を飲みながらふなべりで星を見ていると、後ろからあやしげな気配。 
そのうち影からぬっと男が出てきて、「ご相伴よろしいか」という具合に茶碗を差し出した。 
しばらくやつはわしの酒を黙って飲んでいたが、ふいににやっと笑い、 
「あんさん、針売りの格好しとるけど、ホントはちゃうやろ」と言った。 
ちっ、やはりそうか。作り笑いをしながらごまかしつつ、場合によってはと思ってふところの 
脇差を取り出す準備をした。男はわしのしぐさを見てあわてて、 
「ちゃうちゃう、べつにあんさんが極悪非道の人買いやからいうて、どうかしようちゅうわけちゃう。 
 むしろ一枚のらしてんか」 
えっ?わし、そんな風に見えちゃったの?つい顔を手にやってほおのいろんな場所を触りながら 
否定したが、男はわしがごまかしてると思ったのか 
「別にほんのちょっと分け前に預からせてもらえればええんや」と揉み手をして 
わしに迫ってくる。なんかややこしいことになってきたなあ。 

元亀四年 三月二十九日 佐吉

宇治に入った。京までもうすぐだ! 
あれ、街は人っ子一人いない。どういうことだと思ったら、向こうで砂じんと鉄砲の音が。 
そのうちときの声が近づいてきた。うわわわわ、足利と織田の市街戦に巻き込まれてる。 
あわてて路地にかけこんだが、かけこんだところに足利の武者が何人もいた!! 
そのうちのかしらっぽいのが「おお、戦が終わったらなぐさみにちょうどよいな」 
うわあ、まずいと思ったら、その武者が突然前のめりに倒れた。 
旗印を見たら、三つ引き両。佐久間さまの部隊。 
そのなかにひときわ大柄な人がいたので、目をこらすと権兵衛さん! 
「おお、佐吉か。ちょうど兵站で人手が足りんので手伝え」 
権兵衛さんはそういうと足軽数人を引き連れてまた大路に走っていった。 
お城ではぼおっとしかしてない人が、びっくりするくらい生き生きしてた。 
しかし、助かったのはよいが、佐久間隊2千の兵糧の手配から金勘定をさせられることになった。 
紀ノ介たちも心配してるだろうし早く帰りたいが、何せ急場の出陣だったらしくて 
全てがおっついてない。なんか徹夜で仕事のしなきゃいけない感じ・・・

元亀四年 三月二十九日 大谷紀之介

洛内は危ない上に誰も居なくなったので、曲直瀬先生は医院まで行かず、嵯峨の村の寄合所を借りて仮の診療所にしている。 
僕は最近とても体調がいいので、今日はお手伝いの為に先生に付いて行くことにした。 
ずっと家の中にいたから外の景色が一段と新鮮に見える。 
僕がここに来た時は、嵐山の木々はまだ少し芽が出ていただけなのに、今では眩しいほどの新緑の葉を纏っている。晴れ渡った空の青と調和して、とても綺麗だ。 
見とれていると2匹の蝶がひらひらと空を横切っていった。 
僕の様子に気付いた先生は 
「キノコ、自然の色彩は素晴らしいなぁ? 
私は自然の美しさの分からない奴は生きる値打ちなどないと思うとるよ。」 
と仰った。口調は厳しいけどなんだかとても納得してしまった。 

桂川までくるとにわかに人の数が多くなった。避難している人達の小屋が川沿いに軒を連ねている。戦場に近いということを改めて感じた。 

そういえば佐吉は大丈夫かな?戦に巻き込まれなければいいけど… 

元亀四年 四月一日 大谷紀之介

今日もお手伝いで診療所まで同行した。 
慣れない避難生活に体調を崩した人や、怪我人が次々とやってくるので曲直瀬先生は忙しそうだ。 
だけど僕の体を気遣ってくれてあまり多くのことを頼んでこない。もう大丈夫なんだけどなぁ。 
それにしても薬が足りない。薬草を調達しに行った足軽さん、早く戻ってこないかな。 

帰り道、川に差し掛かった所で先生は立ち止まって周りを見渡した。夕日に照らされる中、避難民の子供達がじゃれあいながら僕の側を走り抜けて行った。 
「なぁキノコ…こんなに人々を巻き込んでまで、戦をする意味が私には分からないよ…。」 
多くの避難民を前にして僕は何も言うことが出来なかった。 

元亀四年 四月一日 佐吉

佐久間様の部将、玄蕃さまと一緒に知恩院へむかう。 
本陣は見上げるような階段を上がっていかないといけないので、帰るころはひざががくがくした。 
控えの間で会ったお武家様は、味方らしいけどはじめてみる人だった。 
「ワシが摂州の荒木だす。ほな、よろしゅうたのんますわ」 
身に付けているものすべてが派手で、紅と紫色が目に痛かった。 
「では、手筈のとおりに」 
「ほんまにやるんでっか?また叡山の時みたいにうらまれまっせ」 

帰るとき、玄蕃さまにこれから何がおきるのかたずねてみた。 
「市内にたてこもっている公方をあぶりだすため、洛中を焼き討ちにする」 
そんな!?洛中っていったら、道三先生の医院もあるのに? 
「民のことを考えず二条にこもるのが悪い。京の民も、自分たちを仰いでた頭首がどの程度やくたたずか、これでわかるだろう」 
先生たちの身が心配だ。けど、一人じゃとてもじゃないけどそこまで行けない。 
どうすればいいんだろう? 

元亀四年 四月一日 加藤虎之助

佐吉と紀之介が京に行ったっきり帰ってこない。 

先日、先に帰ってきた山内さん捕まえてあれこれ尋ねてみたところ、紀之介の病気が再発したことや、京が焼き払われることで混乱に陥ってることが分かった。 
だけどそれ以来、何の情報も入ってこない。 
佐吉…あいつドジだから足利勢に捕まったりしてないかな…。焼き討ちに巻き込まれたりしないかな…。 
最近そのことで頭の中がいっぱいで、夜もなかなか寝られない。市松と剣の稽古で手合わせををしても集中できずに必ず負けてしまう。 

ああ!もう、あの野郎!!こういう時は手紙ぐらいよこせよ! 
こんなに心配かけやがって…帰ってきたらタダじゃおかないからな!! 

元亀四年 四月一日 市松

佐吉が居ないと清清しい。虎之助はイライラしているが。 
夜中に厠へ行くと、忠三郎殿が町の方へ。大殿様の御息女を娶っておいて 
女を買うのかと怒りつつ、戒めるために後を追った。へそくりを握り締めていたのは秘密だ。 
すると忠三郎殿は脇道へ入り、川の方角へ。おかしいと思いつつ、後をつけると 
川の中の小ぶりの岩に乗り、素振りをはじめた。あんな場所で素振りなどしては 
体勢を崩すはずだが、まったく落ちない。イチモツをたたせて、へそくりを握り締めている 
自分に腹がたったので、物陰から忠三郎殿へ小石を投げつけたが、当たらなかった。 
いかなる場所でも、時間でも、佐吉に大しては百発百中を誇る俺だが、はずした。運が良かったな!

元亀四年 四月一日 お香

ふと立ち寄ったお茶屋さんで、薬草らしき物をいっぱい持った人を見かけた。 
古びた刀をぶら下げていて見ようによっては具足を外した足軽さんのようにも見えるけど、 
傷薬でも作って戦場に持って行くんだろうか。 
三色団子をほお張りながらそんなことを考えているとこんな会話が聞こえてきた。 

「そんでな、相手はあの織田勢じゃ。さすがにあの時は死ぬかと思うたが、 
 たまたま味方にえらい強いお侍さまがおってな、なんとか生き延びられたわい。 
 わしはその時助けてくれた薬師の先生の下におるからもう戦には出んが、 
 あのお侍さまは今頃は京で織田と戦っておるんじゃろうなぁ。 
 でっかい体で次々に敵兵を倒す姿が目に浮かぶようじゃわ。 
 将軍様は劣勢のようじゃが、あの方がおればなんとかなるかもしれんのう。」 

しばらく聞き耳を立ててる内に、なにかピンとくるものがあった。もしかすると・・・ 
ちょうど路銀も少なくなってきたところだし、久しぶりに古巣の京に帰ってみよっかな。 
あの人じゃないかもしれないけど、それならそれで京の空気を吸うのも悪くないし、 
なにより私のカンは良く当たるのよ。きっと当たりだわ。 
でも、なんだか名のあるお侍さまっぽいなぁ。もし見つけてもどうやって話しかけよう・・・。

元亀四年 四月一日 織田弾正忠信長

近ごろ巷では妙な早口言葉が流行しているらしい。 
少し気になったので、ちょうど側にいたお鍋に言わせてみた。 
「弾正忠とチュウの途中、弾正のじゅっ」 
…少しでも期待した儂が愚かであった。 
しかし、お鍋の艶めかしい唇が戸惑いながらも妖しく動くのを眺めていると、何かが体の奥からこみ上げてくるのを感じた。 
「まだ昼ではあるが…是非も無し。」 
これではまるで猿ではないか、と可笑しくなったが湧き上がる情念に逆らう気は起こらない。 
そうしてそのままお鍋を閨へと誘い、一匹の獣となった。 

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