稲葉様リターンズ! 編
元亀四年 五月二十二日 佐吉
佐和山の丹羽さまからつかいがやってきた。
今、家中総出で琵琶湖で大船建設に勢を出しているんだけど、おおとのの要求する納期がとてつもなくきびしいものなんだって。
それでうちからも応援に人手を貸すことになった。
小一郎さまに連れられて湖のほとりの作業現場に行った。
当然のことだけど、僕達が船を作るのではなく、大工さんの要求する材料や衣食住などを用意するために手伝っている。
現場はものすごくピリピリしていた。
みんな目が血走っていて、ギスギスしていて、目の下にくまをつくっていた。
「時間がないんだ!話なら後にしてくれ」
長束くんも話しかけられて迷惑そうで怒らしちゃった。
元亀四年 五月二十三日 夜 佐吉
船大工たちにまかないをだすため鍋や酒などを用意した。
なかなか疲れがたまっているようで、湯水のようにどぶろくの瓶が空になっていく。
一人の職人がくだをまきながら絡んできた。
ぼくに一緒に飲め飲めうるさい。
酒なんてこんなまずいもの、口にするだけでいやだった。
市松はよくこんなの毎日飲んでいるよな。
で、しょうがないからムリヤリ一杯のんだ。
飲むとすぐ真っ赤になって、あっという間に眠くなってしまった。
翌日の朝、目が醒めたら、頭がずきんずきんと痛かった。
あと、ひさびさにお尻も痛かった。
元亀四年 五月二十四日 長束利兵衛
おおとのが無茶な期限を言ってきたのはわかる。
そのために殿がビクビクしながら結果を出そうと必死なのもわかる。
しかし、人間できることとできないことはあるんだ。
無からポンと大船をとりだすことなんてできないようにね。
ところが、今日はずいぶんと作業がはかどった。
遅れていた船底の松ヤニ塗りもあっという間にかたづいたし。
なんだか大工たちの目が爛々としていたので、気になってたずねてみた。
「昨日の俺たちの前に現れた子がえらくめんこくてなぁ。おまけに締まりも絶妙なんさ。
思い出すだけで興奮して、疲れなんざ、どっかいっちまったわ!がははは!」
……佐吉のことか。
こういう使い方もあるんだな。また困った時には佐吉に頼もう。
元亀四年 五月二十四日 佐吉
そういえば紀之介が見当たらないなと思ったら、
ぼくの知らない人といっしょに、ほのぼのとした空気の中で仕事をしていた。
相手はぼけぼけとしたかんじの若さむらいだった。どうやら丹羽様の家中のひとらしい。
そんな様子じゃ仕事なんかできずに怒られるなと思って、注意しに行ってみたら、
どうやら二人とも、ほのぼのとしつつも割り当てられた仕事は的確にこなしているみたいだった。
何か知らないけど腹が立ったから、あとで、
なんであんな頭悪そうな奴と一緒にいるんだよって言ったら、
紀之介は少し悲しそうに微笑んで、彼はいい奴だよ、と言った。
…むー…
元亀四年 五月二十四日 上田佐太郎
とだが見あたらなという事で、溝口様や利兵殿が怒っていたので探したら、
羽柴様の家中の方と仲よさげに、しかしちゃんと仕事をしているようだった。
「とだはあまり仕事の役に立たない」というのが家中で一致している意見なのだが、
俺の目には、とだが的確に与えられた仕事をこなしているように見えた。
そばにいるだけで通常以上の力を発揮できる存在を見つけたという事なのだろうか。
少しだけ寂しい気はした。
が、とだにはとだの交友関係というものがある。
広い心を持たねばならんと思い、自らを戒めた。
子供じゃあるまいし、と。
…それにしても、二人を物凄い形相で睨んでるこの色白で小柄なさむらい。
何やってんだ、こいつは。
元亀四年 五月二十五日 増田
さきちのかみのけ うま
かみ うま
元亀四年 五月二十六日 仙石権兵衛
再び砦に織田勢が迫ってきた。今度は滝川のようだ。
しかし、布陣し終わってもこちらに積極的に仕掛けようとしない。
砦から打って出た時だけ、集中して反撃がくるだけだった。
「ならばにらみ合いじゃ。持久戦ならこっちに分がある」
今日で包囲も五日になろうか。
目の前に相手が居るになにもやることがない。
すると、滝川はどんどん撤兵していった。
「なんじゃあいつは?せっかく有利なかたちで包囲したとおもったら、自分から勝ち栗を手放していきおったぞ」
…滝川栗捨てる、か。
元亀四年 五月二十七日 佐吉
今日、播磨から小寺家ってとこから使者がやってきた。
とのは、「小官殿」といって大仰に迎えていた。
その小官殿は市松や虎之助にひけをとらない位に体格のいい二人をお供にしていた。
たしか、又兵衛と太兵衛って呼ばれてた。
その日、紀ノ介と虎之助と一緒に城下の見回りに行っていたら、居酒屋に人だかりが出来ていた。
中を覗き込むと、又兵衛と太兵衛の二人がいた。その手前に酔いつぶれたオッサン。
虎之助が事情を聞くと、なんでも多兵衛が飲み比べをしていたとのこと。
どっちか先に酔いつぶれたほうが、相手の飲食代を払うんだって。
んで、この二人さらに調べたら無一文だった。なんか無茶苦茶やってるなー。
「はっはっは。その時はその時よ。な、多兵衛」と豪快に又兵衛は笑った。
「うぷっ」まだ太兵衛は酒を飲んでいる。
「どうやら、太兵衛の勝ちみてえだな、オッサン。ってもう聞いてねえな。
オヤジ、俺らの飲み食い分、このオッサンに付けといてくれ」
太兵衛も相当酒を飲んだらしいが、この又兵衛も何皿も団子を平らげている。
「オマエら、いつもこんなことやってんのか?」
虎之助が問いただすと「まぁな。俺はたらふく食える。太兵衛はたらふく飲めるからな。」
「市松と変わらない位の大酒飲みだね」と僕が言うと、
「お、太兵衛に挑戦ってか?そのうちソイツともやるか」
「うぷっ」酒をあおりながら太兵衛はこたえる。
呆気に取られた僕たち三人を見やって、又兵衛は半笑いでこう言った。
「アンタら、羽柴家中だろ?ふ〜ん。こりゃ一戦交えたら勝つのは俺らだな」
「そりゃ聞き捨てならねぇな」と虎之助が前に出た。
「よせよ、見回りの僕たちが問題起こしてどうすんだよ」と紀ノ介が制止した。
「はっはっは。冗談冗談。じゃ、またな」そう言って二人は人だかりへ消えていった。
虎之助と紀ノ介は舌打ちしながら彼らを見送った。僕は少しドキドキした。
「まぁ、あの使者の方のお供だから、殿を通して抗議すればいいよ」ととりあえず言っておいた。
元亀四年 五月二十七日 佐吉(続き)
事情を殿に話したけど、「いや、小官殿のお供は威勢のいい者がおるのー」と殿は笑っていた。
その小官殿は「全くの田舎者でして、お恥ずかしい限りです。しっかりと仕込んでおきます故になにとぞ」
と頭を下げていた。すごく礼儀のいい人だと思った。でもあの二人はしれっとしていた。
だから、虎之助と紀ノ介はすごく不満顔だった。
「では、播州の豪族達の件、よろしく頼むぞ」「はい、必ず上洛させ信長殿のもとへ連れてまいります」
そう言って殿と小官殿は握手をした。
すると、又兵衛が僕達三人に歩みよって「また会おうぜ」と握手をしてきた。
「あぁ、また会おうな。必ず」と虎之助が応えた。僕はまたドキドキした。
元亀四年 五月二十八 増田
ふたたび春日山の毘沙門堂へやってきた。
御館に面会するには、どうしても手続きがいるのだが、たまに毘沙門堂にこもって護摩を焚くから助かる。
「喜平次から話はお伺いしております」
そう、わしがお願いしに来たのは、越後からの脱出のために、長である謙信公に一筆もらうためだ。
あのくそ生意気な景虎たちが国境を封鎖しているから、なんとも身動きがとれん。
「しかし、我が政道は、一たびたりともいえど妥協を許せばひずみを生ず。気の毒ですが、願いを聞き入れることはできないのです」
くぅ、だめか。
「ですが、ひとつ賭けをしましょう。乗りますか?」
お?なんだか話が違ってきたぞ。こうなりゃ破れかぶれ。なんでもやりますよ。
賭けに承諾すると、拍手を2拍子たたいた。おくから小姓たちがすり鉢のようなものをかかえてやってきた。
目の前におかれたのは、やたらとでかい杯だった。かるく3升は入る。
その中になみなみと酒が満たされてあった。
「常人では気絶する量の入った杯です。これを飲み干せば神のご加護があるとみなし、そなたの希望を叶えましょう」
たしかに賭けは魅力的である。が、こんなの、水でも飲めねぇよ。
「では、毒見を」
そういうと、同じくらいの杯を抱えて、口に運び、とうとう飲み干してしまった。
「うむ。美味」
もうね、あっけにとられるしかなかった。ひょっとして、この人、自分が凄いことを自慢したいだけなんじゃないの、って。
そっから先はもうひどいものだった。
飲んでも飲んでも、飲んでも飲んでも、吐いて、また吐いて、また飲んで。
それでも杯の酒が減っていかないんだもの。
「はははは。根性、根性」
わしが庭に吐いて戻ったとき、この人はもう二杯目を飲み干していた。
涙を流しながら、鼻水をたらしながら、深夜遅くまでかかってようやく酒を飲み干すことができた。
「うむ。よくできました」
その言葉を聞くと、前のめりにぶっ倒れた。
元亀四年 五月二十九日 早朝 増田
起きたら頭が割れるように痛む。
どうやら堂内で眠ってしまったようだった。
隣の部屋では明かりが点いており、呪文を唱える声が聞こえてくる。
どうやら謙信公が護摩を焚いているようだ。水を飲んで腹の中を洗うと、声が途切れた。
「そなたの願いを聞き入れましょう。しかし、その前にたずねたいことがある」
おだやかな顔をしているが、声につよい張りがある。
「お主は織田家のものか?」
それを聞くと、背筋がびくっとした。まずい。どうしよう…。
どうすることもできなさそうなので、腹をくくって正直に答えた。
「毘沙門天のお告げがありました。やはりそうでしたか」
だますつもりはなかったんだけども、隠し事は最後まで通用しなかったようだ。
「面をお上げなさい。あなたが間諜であろうと、刺客であろうと別にどうということはない」
またもとの穏やかな落ち着いた雰囲気にもどった。
「ただ、先日、貴君のあるじから文が届きました。その筆跡は本物ですか?」
手紙を投げ渡されて読んでみた。内容は信玄公が信濃路で逝去したこと。
そして織田と同盟をむすび、武田を挟撃する申し出がかかれてあった。
たしかに、花押は大殿が使っているものだし、印も間違いなさそう。
「そうですか…本物なのですか…」
すると、謙信公が大粒の涙を流し始めた。
「あの男は、父親を追い出し、策略を好み、いたずらに兵を使う凶悪な輩。しかし、あの男と戦うことは、他にも代え難い情がありました」
子供のように泣きじゃくったので、懐紙をわたしてあげた。
「ああ…私はいくさが好きだ。もう、あの興奮は味わえぬのか。うおおおお!」
「あっ!?なにを…、ぎゃああ!尻が裂ける!」
「ふん、ふん、ふん、ふん、毘沙門天の御加護を」
「アッ〜〜〜〜〜!ちょ、落ち着いて」
「ふん!ふん!ふん!ふん!信玄よ、安らかなれ!」
「アッ〜!こんなの、ぜんぜん、供養とかんけ…、アッ〜〜〜〜!」
元亀四年 五月三十日 佐吉
官兵衛さんたちからとのへのおくり物のひとつに、『蛇味線』というものがある。
今日は小姓部屋でみんなといっしょにどういうものかを話し合った。
「これは…いったいなんだ?」
「箱に『蛇味線』とかいてある。へ〜、琉球物のようだ。めずらしいな」
「うん、でも、なにに使うんだろうね?」
誰一人として蛇味線がなににつかうのかすらわからなかった。
それで、一人ずつ大切に扱いつつ、その使い方を想像してみることになった。
虎之助、「握りやすいし、ほどよい重さがあるから、剣の素振りにはいいな」
でも、それだと三本の弦が必要ないから違うと指摘を受けた。
助作、「琵琶に似てなくもないな。俺は楽器のひとつだと思う」
おお、と周りから感嘆のこえがあがった。
ところが、結論が出そうになったその時、
「お前ら、まだまだ甘いな」
流れを無視して市松がため息をだした。
「実はこの形を見てぴんときた。まず、四角い方を口につけ、細い方を股間にはさむ」
市松は実演してやってみせた。
「そして振動がつたわるように、”あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜”」
するとどうだろう、市松の股が大きく膨らみだした。
「とまぁ、俺の手にかかればこんなに気持ちいい使い方ができるんだぜ。きっと、これは、琉球秘伝の快楽増幅器なんだろうな」
斜に構えてあごに手をあて市松は調子付いた。他の小姓たちも市松に教えられた通りにやりだす。
六月一日 佐吉
昨日から蛇味線を股にあてて”あ〜あ〜”やりだす輩が続出している。
そのことを狩野さんに話してみたら大笑いされた。
「はっはっはっは!蛇味線は楽器で良いんだよ」
小姓部屋に一緒に行ってもらって、”あ〜あ〜”やっていた助作から蛇味線を取り上げた。
で、箱の中にあったばちをとって、狩野さんは蛇味線を弾きだした。
「いい音色ですね」
狩野さんはつぶやいたが、市松はいつのまにかいなくなっていた。
六月一日 夜 竹中重治
最近は体の調子が良いので、散歩をしていると屋敷から
笑い声が聞こえた。そこで見た光景に私は嫉妬を覚えた。
自室に戻っても嫉妬の炎は消えない。
市松・・・恐るべし。きっと大物になるであろう。
殿が近くの部屋にいるので、さりげなく大きな声で誉めておいた。
良いものは良いと認め、私もさっそく実践してみた。
これはすばらしい。私はさらなる快感を求め、直にあててみよう。
おおっ!!なんという快k…!?
しまった…この半兵衛、一生の不覚。“縦筋”が少し長くなってしまった。
六月二日 朝 竹中重治
傷口が痛む。熱もでて、寝込んでいる。殿が心配なされていたが
さすがに市松の真似をして、失敗したとは言えないので
「じ、持病が悪化ゴホゴホ!ゲッハァッ!!」と演技しておいた。
ちんこ痛い。
六月三日 佐吉
昨日の大雨で虎御前山の砦の前の堀が土で埋まってしまったために、みんなで穴掘り
をした。朝はくもりだったのがお昼前に雨が降りだし、まもなく土砂降りになった。
でも現場を仕切る神子田さんは「いま浅井勢が攻めてきたらひとたまりもないぞ!」
と無理やり作業を続けさせた。袖がぬれているのは雨のせいか汗のせいかわからないくらい
しんどかったが、周りの虎之助や市松がへいきで働いているので休みにくかった。
と、後ろからときのこえ。坂の上のやぐらの足軽が「敵襲じゃ!敵襲じゃ!」と叫んだ。
身の軽い孫六を先頭にみんな坂の上のとりでに向かって走っていった。
ぼくも一緒に上ろうとしたが、雨でふんごむ土に足をとられ、さっき深く掘ったばかりの堀に
落ちてしまった。堀から出ようにもけいしゃがきつくて登れない!
後ろから浅井の軍勢が迫ってくる!うわあああああ。
と、目の前に縄が降りてきた。縄の先をを見ると、砦の上の紀ノ介が縄を握ってぼくの
ほうを見つめていた。ああ、これで登れということだな、やっぱり持つべきものは
友達だ。
でも、なかなか上にあがれない。腕がしびれてきたせいだ。雨はいっそう強くなり、
しんどくてぼくは途中でうごけなくなってしまった。と、
「おい、佐吉。もたもたしてるとこの縄を離すぞ」
上を見ると紀ノ介じゃなくて虎之助が縄の先を握っている。それも今にも離しそうな感じの
しぐさを見せる。こ、このやろう!迫ってくる浅井勢に対する恐怖と、
虎之助にたいする怒りがぼくのなかにこみあげてきて、一気に力をこめて縄をつかんで登っていった。
なんとか坂の上のとりでにたどり着いた。すごそこに虎之助はいた。このやろう!
ぼくは虎之助を思い切りなぐりつけた。ぼくの腕がしびれていたせいで虎之助はあんまり痛く
なかったみたいで、ばかみたいにへらへら笑っていた。
六月四日 佐吉
今日はちょっとしたゴタゴタがあった。
雨で崩れた兵糧蔵を直すため、うちと稲葉家が担当することになった。
とのは稲葉さまに面会して、工事はできる限り協力することを伝えた。
だが、話はだんだんこじれてきて、双方の自慢大会になっていった。
「いやぁ、われらは土木働きがあってここまでこれましたからなぁ。こと建築に関しては家中随一と自負しており申す」
「そりゃぁ墨俣の働き、清洲城の修復などの武勇伝はうかがっておる。
しかし、この一徹が率いる稲葉衆も、土木に関しては自信がありますぞ」
「ならば、こたびの修復、どちらが上か決着をつけるには好都合ですな」
「応!やらいでか!稲葉者の力をおみせつかまつる」
「父上、興奮しないで下され」
最後は年寄り、禿、とかののしりながら別れた。
とのは陣に戻ると、家中総出で蔵の修復にとりかかるむねを伝えた。
とのの話を聞いてみんな意気が上がる。
「修復じゃぁー!でっかくて頑丈なやつに作り直すんじゃぁ!」
今日は一日中働きづめで疲れたよ。
六月五日 佐吉
夕方に蔵の修理が終わった。となりの稲葉様の陣も同じころに終わったようだ。
どちらもしっくい壁に瓦葺の屋根で、陣中の兵糧置き場にしては場違いなほど立派に造ってしまった。
「それで、どうやって土木の腕前の甲乙をつけるのですか?」
「それもちゃんと考えとる。稲葉衆!」
後ろを振り返ると、具足を身に着けた武者らが気勢をあげて控えていた。
「それ!蔵の上にものども上がれぃ!」
はしごをかけて武者たちは次々とのぼっていく。最後は、稲葉様が大よろいを着込んでてっぺんに登った。
「やっぱり稲葉!百人のってもダイジョーブ!」
一番高いところで稲葉羽輪をきめて、稲葉様しごくご満悦だった。
で、いつのまにかおおとのがすぐ後ろでご覧になっていて。
「…蔵は百人のせるためのものじゃないしな」
そうつぶやいて去っていった。
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