梅雨編

元亀三年 四月二十九日 雨 佐吉

梅雨に入ったのか、毎日じとじとしてすごいいやだ。
こんな日なのに、さらに体じゅう脂ぎった宮部善祥坊どのがお城に訪ねてきて、そのお接待。
お茶をお出しするときに、手をぐっと握られるは、じっと私の顔を見つめるは、
いっそう気持ち悪くなっちゃった。助作さんにぐちったら、
「ああ、男は若いうちにやることやらないと、
 年をとってからすごいあぶらぎってくるらしいぞ。
 おまえもおくてっぽいから気をつけろよ」
だって!よくわかんないけど、とりあえず20年後の自分が宮部どのみたいにはなりたくないな。

宮部どのがうちの殿さまとお話している間、
ぼくは宮部どののお供の田中久兵衛さんという20代半ばくらいの人とおはなしをした。
田中さんは、戦争があんまり好きじゃないみたいだったけど、
「もう10年か20年すれば天下も収まるかもしれん。そのとき、戦の知識だけじゃまずいだろ。
 俺は街づくりやお城の建て方とかをいま勉強してるよ」
と教えてくれた。ぼくは会計のお勉強をしているよ、と田中さんに話すと、
「佐吉くんは賢そうだもんな。羽柴どのの大番頭にでもなりそうだな。
 そうしたら、俺も頭があがんないな」
だって!おだてだろうけど、ちょっと気分がよかった。
年は離れてるけど、この田中さんという人とは長くおつきあいしたいなあと思った。

元亀三年 五月二日 雨 佐吉

今日も雨だ。洗濯ものがたまっていけないよ。
田中さんから手紙が来た。中身は、
「はげやかん 火の加減こそ いのちなり
 あつけりゃ犯られ、ひえればろくなし」
どういうこと?助作さんに見せたら、
「ああ、田中さんはやさおとこだからなあ。おまえも出身からいって、
 宮部どのに仕えるかもしれなかっただろ。まあそのときはやばかっただろうけど」
と笑いながら去っていった。

元亀三年 五月三日 晴 佐吉

今日、坂本から明智さまがきた。
明智さまはきれいな顔をしていてすごくかっこよかった。
なんか話があったみたいで、とのと部屋入ってみつだんしてた。
明智さまがかえるとき、とのが
「金ケ崎のことはありがとうございました」
というと、明智さまはぼうしをとって深ぶかと礼をした。


あの頭はけっさくだった。

元亀三年 五月五日 くもり 佐吉

今日は端午の節句だ。何かおいしいものでも食べられると思ったら、
大きすぎるよろいかぶとをかぶせられ、戦場用のほしいいを食べさせられた。
小一郎さんが笑いながら、「まあここは戦場そのものだし、お人形をかざるなんかより
尚武の気風を感じられるだろ」だって。
体の大きい虎之助や市松はいいけど、僕には重すぎてちょっとしんどいよう。
そのうえ、ふらふらしていたら誰かにおしりをけられて階段から落ちてしまった。
例によって市松か虎之助かと思ったけど、ぼくが落ちたところに二人ともいたということは、
彼らじゃない?えええ、誰だよう・・・

元亀三年 五月四日 くもり 伊東義祐

ええい、負けた負けた!
島津の次男坊の釣り野伏せごときにやられるとは、無念じゃあ。
弟も討死、なんとか逃げ延びてきた将兵を数えても、1000近くは死んどるわい。
ああ、もうだめかのう。豊後の大友どのを頼るしかないかのう。
しかしあのスキモノのこと、援軍を求めたら女でもよこせと言ってきかねんなあ・・・
ああ、やだやだ。今日はもう寝よう。
くうっ、しかしむかつくわい!!

元亀三年 五月五日 くもり 加藤嘉明

佐吉が兜のせいでふらふらしていた。落として虎之助と市松と争わせる
心算だったが、佐吉は両名に当たらなかった。まだまだ未熟だ。残念だ。

元亀三年 五月五日 くもり 加藤虎之助

長烏帽子形兜をかぶった。
「丁度良いけど、少し長さが足りない気がする。」と俺が言うと
佐吉が「思慮も足りない…。」とボソッと言いやがったので殴ろうとしたが
母様にどやされるので、「おまえの一物はもっと足りないけどな。」と言ってやった。
真赤になった佐吉がおもしろかった。


佐吉の後ろで、この話を聞いていたアイツが「ハァハァ」と息を荒くしていた。
想像して気分が悪くなったのだろうか。少し違うような気もしたが。

元亀三年 五月十日 雨 佐吉

毎日雨で帳簿の整理と会計の勉強が終わるとやることがない。
市松や虎之助も暇なようだが、そうなると僕を相撲やらなにやらに巻き込んできて困る。
いくじなしといわれるのもいやなのでつきあったが、
思いっきり投げられてしょうじを破ってしまった。
とたんに小六さんの「くぉらあ、ガキども!!」とすごい声が響き、
市松と虎之助は逃げて僕だけつかまった。
あんまり痛いげんこをくらったので、たまらず僕が「市松と虎之助も一緒だったよ」と言うと、
小六さんは「じゃあ、やつらに相撲でかってみろ」と言われた。

くやしい。

元亀三年 五月一五日 晴れ 佐吉

きょうはやまとまでおつかいだった。
手紙を届けるだけだったのでらくしょうだった。
おなかがすいたので茶屋でおかゆを食べていたら、
「おう、いつぞやのぼうずじゃないか。今日もおつかいか?偉いな」
といわれた。
よくみると一年くらい前にあった背のたかいおさむらいさんだった。
ぼくが、
「ぼくはぼうずじゃない! 佐吉っていうんだ!
 しかんもしてるし、さむらいになるんだ!」
といったら、
「いよいよ感心だな。ぼうず、いや佐吉殿。
 立派な侍になったら拙者をかかえてくだされ」
といって大きな声で笑いながら帰っていった。
あーどきどきした。

元亀三年 五月十九日 佐吉

おうみにかえってきた大谷くんにやまとで出会った
おさむらいさんのこととかたくさんおはなししたんだ

すると大谷くんは
「よくそんな強気なこといえるね かっこいい」
といったので、ちょっぴり照れた。

でもそれをこっそりきいていた市松と虎が
「ちょうしにのるんじゃねぇ」
といってぼくのおなかを(ry

元亀三年 五月二十二日 くもり 奥田忠高

我が殿、松永さまが三好どのなどと語らって織田方に反旗を翻して既に一月になる。
私は松永さまのご子息、金吾どのとともに多聞山城を守備しているのだが、
五日くらい前になろうか、奈良街道を巡検していたら、
街道を小走りに南に歩いている12・3くらいの少年がいた。
ちょっと線が細くて顔立ちが整っていたので覚えていたのだが、
夕方になるとうれしそうな顔で今度は街道を北に歩いていった。
あれからすぐに南の筒井順慶の攻勢がきつくなり、
さらに北から織田の被官・佐久間右衛門が蜂屋やら稲葉やら引き連れて攻めてきおった。

あの少年は密使だったんだろうなあ。うかつであったわい。
まあでもそれを話すと弾正さまに首をはねられかねないので黙っておこう。
それより、織田に寝返ろうかどうしようか、難しいわい。
どうせ弾正さまもまたすぐ降伏するだろうしなあ・・・
信貴山からヒラグモでも盗んでくれば、所領も増やしてくれるだろうがねえ。

元亀三年 五月二十三日 佐吉

きょう虎と市松から逃げてて走っていたら、
角を曲がったところで、
どーん
とひとにぶつかった。
ごめんなさい、とすぐ謝ったら
「元気があってよいなぁ、頑張って木下殿の力になっておあげなさいよ」
と、ゆってくれた。
すごく感じのいいひとだったからよかった。

あとで追い付いてきた虎たちが
「みかわの殿様はこころが広いなぁ」
といっていた。

元亀三年 五月二十七日 くもり 佐吉

最近田中の久兵衛さんとよく文通しているんだけど、
今日は田中さんに誘われて、紀ノ助と一緒に国友村に行った。
教えられた地図でもくてきちにたどりついてみたら、すごい立派な家。
大きな声で「田中久兵衛どのはござ候や!大谷紀ノ助と石田佐吉横山よりまかりこせり!」
と叫ぶと、にこにこして田中さんが出てきて、奥へ案内してくれた。

奥に案内されたが、立派な垂木に囲炉裏、お金持ちの家だ。
田中さんに聞くと、ここはおかあさんの実家で、鉄砲作りの棟梁をやってるらしい。
その田中さんのおかあさんがおいしいフナ寿司を出してくれ、
ここのご家族とも楽しいお話をした。

夜も更けて、いつのまにか部屋には田中さんと紀ノ助、ぼくだけになった。
すると田中さんは急にまじめな顔になって「なあ、佐吉くんに紀ノ助君、
羽柴さまのご家中にいて、なにか仲間はずれにされているようなきがする
ときはないかい?」と話をむけてきた。
「羽柴さまのご家来、蜂須賀さん、前野さん、浅野さん、
 生駒さん、神子田さんとみんな尾張の人だよな。
 それに君たちの同輩も、加藤君、福島君らなんかもみんな尾張の人・・・」
そこで田中さんはちょっと口ごもったが、
「これで浅井を滅ぼしたりすれば、羽柴さまのご家中にももっと近江もの
 は増えると思うんだ。でも、それまで近江の出身者同士ががんばって
 協力していこうと思うんだよ、どうだい?佐吉くん、紀ノ助君」

毎日市松や虎之助にいじめられている僕は、「うん、そうです、そうです!」
とつよくさけんだが、なんか隣の紀ノ助はあんまりその気がない顔をしていた。
次の朝、帰りに紀ノ助にそのことを聞いてみたら、
「要は派閥だろ。田中さんもいまのうちに羽柴さまの家中に関係をつくっておきたいんだよ」
とつきはなした声で返ってきた。
こういうときの紀ノ助の顔はいつにもまして青白くて、こわい。

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