伏線いろいろ編

元亀三年 三月六日 くもり  竹中重治

岐阜のとのが浅井討伐の傍ら横山城立ち寄り、さっそく私と宮部継潤を呼ばれた。

とのは上機嫌で、珍しく笑いながら謁見に臨まれた。
まず私が宮部を紹介すると、とのは宮部の容貌魁偉な僧兵姿が大いに気に入られたようだった。
宮部も如才なく、いかつい顔をにやけさせながら、
先の戦での足の鉄砲傷などを盛んに述べ立てていた。
とのは気に入られ、なんと見舞いと称して砂金ひとつかみを与えられた。
宮部はその量に驚き、坊主のクセに上気して喜んでいた。

私には?扇子一本。それもとのが「天下布武」とか直筆でかいたやつ。
おまえの神経質で書かれた字なんていらねーよ。価値があるとでもおもっとんなかなあ。
それも最後に「これからのサルの藤吉郎を頼むぞ」って、
これからもわしはサル主従に仕え続けるのか・・・
ああ、寝返りてえ。でも浅井も朝倉もしょぼいし、もう滅ぶだろうし。
信玄を待って、美濃のご案内でも務めることにしようか・・・

元亀三年 三月十四日 佐吉

城の書庫ですけさくにあった。
あうなり「お虎を見舞ってやったか?」だって。
お虎?虎之助のことらしい。
「見舞うって?」ってきいたら
「おおきいけがをして寝込んでる。知ってるだろう」
…。なんで虎之助のことをぼくにいうんだろう?
「べつに、見舞わないよ」とこたえたら
すけさくは、「アア、そうしてあげるほうがいいだろうなぁ〜では、な」
といってどっかにいった。
すけさくのいうことは分からない

元亀三年 三月十七日 はれ 佐吉

夜通しの見張り当番だった。助作と、市松と組だった。
市松はもちろんさぼった。まあわかってたことだ
夜もふけた裏門には、だれもとおらなくてしずかだった。
「紀之な」
助作がぽつっといった。
「紀之な、あいつあれでいて気も強いし
今は気に入りのひとりのようだけど
いつか殿の勘気にふれるかもしれんよ」
いきなりそんな話をされてびっくりしてると
「まあ小姓のうちならたいしたことに
ならないだろうけどな」と、いって、向こうをむいてしまった
きまづかったので
「もし大谷くんが殿の勘気にふれて
きんしんとかになってもぼくはあいにいくよ」
っていっておいた。

よくよくかんがえたらへんな話だなあ。
あの大谷くんが殿を怒らせたりするわけない。
助作はやっぱりへんだ

元亀三年 三月二十日 佐吉

岐阜のうえさまはうちのとのさまと浅井の領内を荒らしまわると、
直ちに湖西路にとって返して
佐久間さま、丹羽さま、明智さま、中川さまなどとお城を攻め、
さらに今は京でご邸宅の建設を指揮されているそうだ。
すごい行動力のお人だなあ。ぼくはちょうど岐阜の上さまが横山城に来たとき、
お城にいなかったのでお顔を見られなかったので、どんな感じだったか
紀之助に聞いてみたら、
「うーん、丸一周ひさしのある変な兜をかぶって、
 背中にはきんきらきんの大きな布キレをはおって、
 ひげは明らかにつけひげっぽくてうさんくさくて、声はむやみにかん高くて
 すごいしんけいしつな感じだった。変な人な感じだったよ」
へえ?なんか想像がつかない感じ。上さまっていったい・・・

元亀三年 三月二十一日 雨 佐吉

石田村の兄貴からまた手紙が来た。

佐吉どの

先日の各村が一向一揆に加わらぬ旨を記した誓紙を織田どのに提出する件だが、
結局坂田郡の村はわが村も含めて全て提出した。
不穏な寺々や門徒どもはひとまずおとなしくしておる。

さすが織田どのじゃのう。これで近江も平和になればよいのじゃが。
いうまでもないが、織田どのの重臣羽柴どのにお仕えするおぬしが、
われら石田村の命運を握っている。くれぐれも頼む。

追伸 もう少し近江が収まったら、おれも仕官したいなあ。
   そのときはヨロ。
                    おまえの兄 弥三

なーにがヨロだ!ぼくが寺奉公に出る前の夜、
母上がせっかく僕に作ってくれたフナ寿司を、
兄上はふた切れもつまみぐいしたのをぼくは忘れてはいないぞ。
もし羽柴さまに仕官できたとしても、いじめてやる。

元亀三年 三月二十一日 雨 加藤虎之助

上様と小姓殿が話しているのをたまたま、聞いた。
何でも三河殿とは幼い頃からの親友だそうで、水練だと言い川に突き落としたり 
柿をやると言い、渋柿を食わせたそうだ。しかし、それが友情に繋がるとは興味深い。

早速、佐吉を水練だと言って滝つぼに突き落とし
柿をやると言いつつ、渋柿を顔にぶつけたり、肥溜めに落としたりした。
これで大人になったら、佐吉と仲が良くなるはずだ。

元亀三年 三月二十二日 雨 佐吉

風邪をひいてしまった。ちくしょう、虎之助め・・・
僕がえらくなったらこってりいじめてやる。

元亀三年 三月 二十三日 くもり 佐吉

小姓のみんなは連れ立って近くの山あいにある茶をつみにいった。
僕は風邪が治らなくて一人お留守番・・・
みんな帰ってきた後、一緒に茶摘をした女の子のだれがかわいかっただのなんだの話していた。
畜生、くやしい。虎之助、恨んでやるう!

け〃ωき3ねω3か〃⊃25にち たま

<まちょさぃきωきもぃ★
ゎたUσことぃЗぃЗきぃτ<る
ちょぃぅさ〃<なっτきた★

元亀三年 三月 二十六日 くもり 佐吉

虎之助が厠で苦しそうに唸っていた・・・。
どうやら僕のうらみが天につうじたみたいだ。いい気味だ。

・・・うるさくて眠れない・・・。

元亀三年 三月二十九日 晴れ 佐吉

すごい情報を助作から聞いた。どうやら武田信玄がもうじき死ぬらしい
まだ憶測らしいけど助作の話を聞いてると本当みたい

そうそう
虎之助の病気が治ったみたいだ。
またうらんでやる、と呟いたら偶然となりにいた市松が聞いたみたいで
虎にいいつけるといっておもいっきり、おしりを蹴られた。

元亀三年四月一日 晴れ 佐吉

今日は遠足に行くことになった。
弥兵衛さんと神子田さんがぼくらを引率してくれるということだ。
寅三つ、まだ夜も明け切ってうちから出発。
どこに行くのかわからないまま、ひらすら細い道を歩かされた。
神子田さんはやたら上機嫌で、
「この遠足は訓練も兼ねてるからな!」と叫ぶとどんどん早足で歩いてく。
しんどくてぼくは遅れそうになったが、こんな山道ではぐれても大変なので、
必死でついていった。小袖からふんどしまであせびっしょりになった。
いつしか日差しが高いところまできてる。
ああ、ようやく着いたみたい。いきなり虎之助がぼくの方を見て
「なんだ佐吉、ついてこれたじゃないか」
と言って白い歯を見せた。なんかむかついた。

着いたところは関が原というところにある松尾山という山だった。
いつのまにか美濃の国に来てたんだ・・・
ここはいろんな街道が集まるすごい大事な場所で、
昔、おおともの皇子というひととおおあまの皇子というひとが、
天皇の位をかけてせんそうをしたところらしい。
神子田さんは、弁当を食べながらすごくうれしそうにそのせんそうの講釈をしてくれた。
「ちょうど今年と同じ十干十二支の年だった。おおあまの皇子は
 東側、おおともの皇子は西側に陣を張ってな・・・」
話はすごく細かく詳しく、ぼくらはぽかんとして聞いていたが、
このくだりだけ耳に残った。
「おおあまのみこはあそこに見える丘に陣を引いて部下に桃を配ったそうで、
 それで桃配山とあのへんは命名されたそうだぞ。
 まあでもな、見るからにあの丘は包囲されやすくていざ攻められたらひとたまりもないから、
 実際あそこに陣を張ったとしたらおおあまの皇子もちょっとアホかもな。
 俺がおおともの皇子ならあっちの西北の丘陵に陣をしいて、
 別軍をこの山において挟み撃ちで一気に勝つけどなあ」
そのあと、近くにある竹中さまの居城で一泊した。
竹中さま自体はいなくて、奥さまがごはんを出してくれた。
「うちの半兵衛はみなさまにご迷惑をかけていませんか」
となぜかおろおろしながら聞いてきた。

元亀三年 四月四日 晴れ 佐吉

城で黒田官兵衛殿に出会った。少し気難しい感じの人だったが
市松や虎之助の馬鹿話にも上手くつきあっていた。聞き上手な人だと思った。
途中でぼくの番になり、作戦の話をしたら少し黙って、難点をピタリと言いあてた。
その竹中さまの智略とは一味違った感じがした。


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