市松、転換しない転換期 編
元亀四年 四月十三日 福島市松
お虎と孫六で撃剣の稽古をした。
お虎は相変わらず我ここにあらずといった風で、まったく相手にならない。孫六はまだまだといったかんじ。
あーもうツマンネ。もっと手応えのある奴いないのかよ。
するとその時、後ろから誰かに話しかけられた。
「面白そうね。私もお手合わせ願えるかしら。」
お香だ。お香が近づいてくると、品の良い香のかおりがした。
「止めとけ。これは遊びとは違うんだ。そのキレイな顔に傷がついちまうよ。」
「あら、これでも私、武家の娘よ。兄弟達の稽古の相手もしてたんだから。」
まあいいや、数回打ち込めば参ったと言ってくるだろう。
「手加減はしないからな。」
「望むところよ。」
木刀を構えて対峙し、お虎の「はじめ!」という声が聞こえると同時に俺は打ち込んでいった。
なるほどな、自分から挑んできただけあって少しは出来るようだ。
しかし俺の剣を受けるだけで、少しも打ってこようとしない。
やはり所詮は女の剣術。これが限界なのだろう。
…と油断した瞬間、お香の目つきが変わり、鋭い一撃を打ってきた。
俺は剣を弾き飛ばされ、衝撃で無様にも尻餅をついてしまった。
「あなたは力と勢いに頼りすぎね。相手の思惑を少しは読めるようになったほうがいいわ。
さもないと、将来大きな過ちをおかしてしまうと思うの。
でも楽しかったわ。ありがとう。」
そう言ってお香は俺に手を差し伸べてきた。だが俺は無視した。
応じないと分かると、お香は手を引っ込めて、傍らで呆然と立ちすくむお虎と孫六に礼を言って立ち去った。
・・・俺が負けた。・・・しかも女に・・。なんだよ・・この敗北感・・。
今日はやけ酒を飲む気すら起こらなかった。
そして、生まれて初めて悔しさで眠れない夜を過ごした。
元亀四年 四月十三日 羽柴秀吉
小姓達の剣の稽古を、気付かれないようにそっと遠くから眺めていた。
市松と孫六はますます動きに磨きがかかってきている。
わしの目に狂いは無かっようだ。将来が楽しみだのう。
しかし虎之助にいつもの勢いがない。どうしたのだろうか。後でねねに聞いてみよう。
一通り稽古が終わり、そろそろわしも退散しようと思った時、市松に背後から話しかける者がいた。
お香ではないか。
少し高い所で結ってある髪が涼しげで良いのう。何よりあのうなじが…ヌフフ。
それにしても何故お香がこんな所に?
すると、お香が虎之助から木刀を受け取った。
ちょっ・・まさか・・・・
( ゚д゚)
( ゚д゚ )
( ;゚д゚)
(((( ;゚д゚))))
な 何なんだあの娘は・・・ あのしなやかさ、したたかさ・・。
ひょっとしたら、ねね以上かもしれんな。
むむむ・・・
と とりあえず今後の扱いに注意せんとな・・・。
それにしても、踏み込んだ時にチラリとみえた太もも・・・ええのう・・
元亀四年 四月一三日 杉谷善住坊
信玄を倒し、館を脱出した。果心居士と合流して駒場を離れた。
「ようやったの、風太郎。杉谷、おぬしもよくやった」
果心居士もほくほく顔だった。
「わしらは風魔のものである。こいつは今の四代目のせがれ、ワシの孫だ」
……風魔とは意外な名前がでてきたなぁ。
でも、まぁ、大体の筋書きが見えてきた。
甲相駿三国同盟、世間ではお互いを補う巌のような軍事同盟だ、ってことになってる。
が、その裏側はお互いをけん制し合い、足を引っ張り合い、天下取りの嫉妬を燃やす間柄。
で、氏政から暗殺命令がでて、風魔と北条とまったく関係のない拙僧に白羽の矢があたった、ってところか。
「ふむ。いい勘しておるの」
もし風魔が信玄暗殺したってことが知れたら、せっかく結び直した同盟も破綻だし。
「今の大殿は先代と比べると、一回り以上器が小さくてな。周りを見ないのに自分の力を過信しすぎる」
そういうと、果心居士の顔はすこしさびしくなった。
「わしが風魔を隠居した後、京の近くで天下の様子を伺うようになって、どういう奴が強いのかわかった。
とにかく小回りが効く奴じゃ。今となってはあれほど大きい城は的のようなもので、蜂の巣にされやすい」
そういうと、果心居士は冊子を手渡した。
「風魔の極意は心を操ることじゃ。ここに夢の見方を書いておいた」
そういって、二人と別れた。
さて、京にでも戻ろうか。
元亀四年 四月十四日 佐吉
言継卿の茶室に通されて、道三先生と一緒に向かい合って座った。
「ところで、道三、おぬしの医院も焼けたようだな」
先生はお辞儀をした。
「費用はワシが面倒をみてやるぞ」
さすが権大納言様。面倒見の良い人だな、と思った。
ところが、先生は卿の負担を断ってしまった。
「私は自分の仕事以外では銭をもらわないことにしておりますので。それに、これから報酬を受け取りに行きますから」
「また取れるところからがめつく分捕るんだろ」
「権大納言様の趣味と違って私は自分の生活がかかっておりますので」
そういうとお互い大笑いをしたので、僕も紀之介もつられて笑った。
茶室から出ると、先生は僕たちの方をむいた。
「これから近江の横山まで行くから。お前たち、案内しておくれ」
さっきの話はとののことだったのか。
そんなわけで、久しぶりに横山へ帰ることになった。
元亀四年 四月十四日 明け方 福島市松
昨日のお香の言葉が、頭の中を何度もこだましている。
力と勢いだけだと?人を猪みたいに言いやがって!
沈んでいた気持ちは、いつのまにか怒りへと変わっていた。
俺はいてもたってもいられなくなり、木刀を持って外に飛び出した。
なんだよあいつ!天狗でもあるめぇし、人の考えなんて読めるはずねぇだろが!
俺は城を出て山の中をがむしゃらに走り、デタラメに木刀を木に打ち付けていった。
あぁそうだよ!俺はなにも考えずに突っ込んでいく猪さ!それの何が悪い!何が悪いってんだ!
木刀が折れた。代わりの棒を拾って、またそこら中を打ち付けていった。
その時、目の前に本物の大きな猪が現れた。
なんだよ俺を皮肉りに来たのかよ。それとも仲間かと思ったのか?
丁度いい。猪同士だかかってこいよ。
猪は俺に向かって勢いよく突っ込んできた。
俺は大きく振り被って、力任せに棒を猪の頭に打ち付けた。
猪は悲痛な声を上げ、急激に減速した。そして猪が倒れると同時に、俺もその場に倒れこんだ。
そして俺は声をあげて泣いた。
もう誰にも負けたくない!もっともっと強くなってやる!
仕留めた猪をその場に捨て置くわけにもいかず、城まで引きずっていった。
すると、城のみんなが驚いて「スゴいものだ」「大したものだ」「さすが市松だ」と次々に声をかけてきた。
そうだよ。俺は何も間違っちゃいないんだ。
元亀四年 四月十五日 増田
佐吉の元へ帰る。
と、心に決めたのは良いが、いざ実行に移すのはなかなか厳しい。
まず、見張り。それは得意の忍犬の術でかわすとしよう。
問題は、島からの脱出だな。
ためしに泳いでみたが、波の勢いがはげしく、簡単に島に押し戻されてしまった。
やはり船が必要なのだろう。
人手が必要なため、河内の男に隠れて頼んでみた。
「悪いけど、そんなわりのあわんこと、でけまへん」
馬鹿な?そんなに探鉱暮らしがいいのかよ。
「ワシもやくざな生き方をしとったけど、今は親分さんに目をかけられて、ようやく生きがいを見つけられたんや」
ここの暮らしもひどいもんだが、ひどい中にもさらに差別がある。
金山の管理人(親方)。
石掘り士。
削った石を外に運ぶ人足。←いまのわし
こいつはいつの間にか親方にすり寄って、待遇のいいめし運びをやらされている。
「ワイはいつかここで一番になったるんや!」
こいつを誘うのをあきらめた。船は自力でみつけよう。
元亀四年 四月十七日 佐吉
横山に紀之介ともどる。道三先生をとのへ引き合わせた。
「道三、おみゃあの医術の評判、この秀吉の耳にもよう入ってくるわ」
先生は丁寧におじぎをした。
「うちの大事な小姓の病をよーなおしてくれた。礼をいうぞ」
「さっそくですが、治療費をいただきます」
そういうと、懐から一千貫の請求書をとのに渡した。
とのでもさすがにその金額におどろいていた。けど、すぐに調子を戻して、大声で「銭もってこいや」といった。
すると、道三先生は、手を挙げて制止した。
「あ、じつは、折り入ってご相談が…。それほどの銭を持って帰ることができません。
ですので、その一千貫と同価値のものと交換ということでいかがでしょうか?」
とのは先生の申し出を二つ返事で承諾してしまった。
とのはもてなしの宴を準備するつもりだったけど、先生は治療代をもらうとすぐに帰られた。
帰りぎわ、
「先生、お金でもらわなくてよかったんですか?」
「すぐにわかるよ。私は私の手術の邪魔をするやつを絶対にゆるさん」
なにやら含みのある言葉を残して先生は去った。
元亀四年 四月十七日 杉谷善住坊
そういえば果心居士に出くわす前は信長を狙うつもりだったんだっけ。
信玄との死闘の所為ですっかり忘れてしまっていた。
しかし、この足は京へ向かっている。いっそこのまま京でのんびり過ごすのも悪くは無かろう。
とおもって歩いていると、怪しげな男が立っている。
ほっかむりをしているが、その巨躯とたたずまいはどうみても武家の者である事を物語っていた。
警戒して銃を手に取るとその男は「早まるな、杉谷殿」と言ってほっかむりから顔を覗かせた。
なんと六角殿ではないか。甲賀に亡命していたと聞いたが、そういえばここは甲賀に近い。
元大名で冠位まであったお方がこんな格好で来るということで、用件に大体の察しが着いた。
「一度はしくじり申した某に、もう一度の機会を与えて下さった事、ありがたき幸せにござります。」
「え・・・う・・・うむ。今度こそ頼んだぞ。」
やはり俺はこういう運命にあるらしい。
元亀四年 四月十七日 続き 杉谷善住坊
しかし、三年以上も前から使っているこの銃は大分ガタがきている。
これだと、いくら拙僧の腕が良くても撃ち損じてしまうかもしれない。
やはり、銃を直すのを最優先にした方が良いな。
拙僧は進路を南西方向に変えた。目指すは雑賀。
京経由でもいいのだが、今はあまり人に顔を見られたくない。それに久しぶりに伊賀の里に寄りたくなった。
道は険しくなるが、このくらい拙僧には全く問題ない。
しかし、進路を変えて少し進んだとき、にわかに尻に激痛が走った。
あぎゃあぁっ!しっ尻がっ!尻がっ!
あまりの痛さにに尻を抱えて七転八倒してしまった。そう、この痛みはまるであの時の・・・
しばらくして尻の痛みは消えた。だが今度は左腕に違和感を感じる。
恐る恐る袖をまくってみると、あの時信玄に強くつかまれた跡が紫のアザとなって残っていた。
一体これは何なのだ?
元亀四年 四月十七日 晴れ 保守
保守
元亀四年 四月十八日 佐吉
折り紙で遊んでいると、小一郎さまがやってきた。
「道三先生の治療代なんだがね、たしか三千貫から一千貫にまでまけてもらったはず」
ぼくもそうだと答えた。
「ところがね、昨日先生から受け取った目録に、一千貫の代替として京の市街に新たな医院を建設って書いてあるんだ」
それって、まさか…
「目録の中にご丁寧に建築図面まで入ってある。このやけに大きな建物だと、建てるのにかるく三千貫かかるわい」
やっぱり。昨日の先生の去り際の台詞はこういうことだったのか…。
「いまさら約束を反故にしようにも、とのの花押までしてしまった。こりゃぁ、先生にいっぱいくわされたわ」
佐久間様から頂いた三千貫は、こうして道三先生の新医院の建設費用に使われることになった。
元亀四年 四月十八日 お香
ここに来て十日が過ぎた。
ここの人達とはすぐに打ち解けることができ、新しい生活にもすっかり慣れた。
ただ、この間お小姓さんと剣の手合わせをしたのは失敗だったかも。
親善試合のつもりだったけど、逆効果だったかな…。最後にあんなこと言わなければ良かった…。
それに、あの時から妙に殿がお声を掛けて下さる。
本当はありがたいことだし、良い人だとは思うのだけど…。
なんていうか…ああいう人は生理的にちょっと無理なのよね…。
先日から針仕事を任されている。
主にお小姓さん達の夏物のお仕立て直し。
時々、東さんが暇を見つけては手伝いに来てくれる。
「東さんありがとうございます。お陰で大分片付きました。」
「あんた若いのにお裁縫上手だね。
昨日紀之介と佐吉君が帰って来たんだけど、その子達の分も頼んでいいかい?」
え?まだ二人いるの?
もしかしたら京で見かけたあの子かな?
元亀四年 四月十九日 佐吉
城の絵師さんたちがいる部屋で紀之介と一緒に絵を見ていた。
あとから市松ひとりが部屋に入ってきて、目をむいて絵を観だした。
「何を描いているのかあてるんだ。邪魔するなよ」
僕らも下書きをみてみると、目がギョロっとして真ん丸い顔が二つ、向き合っていた。
「なんだろうねぇ?」
「わからない」
「そうか、わかった!」
市松ははたとひざを打った。
「こいつらは剣豪で、一騎打ちを描いてるんだ。間違いない!」
市松がそういうと、絵師さんはにやり、として続きを描いた。
書き足された絵は、顔の下が四本足の獅子の夫婦だったようだ。
「おしかったですね」
「ムギムギムギムギ……邪魔するなっつーたろうがよ」
何もしてないのに目が合っただけで蹴られた。ちくしょう。今日はついてない。
元亀四年 四月十九日 杉谷善住坊
そろそろ伊賀の柘植に入る。
すると、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
チチチチチチ…
忍か。返事をしなければ不当侵入扱いになってしまうな。
こちらも同じ様に小鳥の真似をして返事をするとしよう。
チチチチチチチ……(甲賀の杉谷善住坊だ。通してくれぬか。)
すると目の前に黒い影が降りてきた。
「久しぶりです善住坊殿。」
「おお、それを言うお主は三之丞か。久方ぶりだな。」
「しかし相変わらず大胆ですね。今は我々は織田家に仕えているというのに。」
「ふん、織田家のみではなかろう。」
「フフ、善住坊殿には全て筒抜けですか。」
「徳川と言えば、去年の三方ヶ原では大変だったらしいな。
しかし、勝者である信玄も先日死んでしまった。無常の風には誰も逆らえぬ…。」
「え……何ですって?信玄が死んだ!?それは本当ですか!?」
「ん?詳細は言えぬが確かな情報だ。
なんだ知らなかったのか。伊賀の者なら既に承知だと思ったが…。」
「それが本当だとしたら…すみません。私はこれにて失礼します。」
そう言うと三之丞は音も無く消えてしまった。
むぅ…なんだか俺は大変な情報を漏らしてしまったようだな…。
つぎをみる