漂着の増田 編
元亀四年 四月二十日 佐吉
着物を仕立て直してもらうために、紀之介と一緒に小間使さん達の部屋に持っていった。
待っていたのは初めてみる人だった。
「初めまして。私、お香と言います。今後とも宜しく。」
「ぇ…ぁ ぼ ぼくは石田佐吉と言います。ょ…よろしく…。」
とてもキレイな人だったから、ぼくは少し緊張してしまった。
「僕は大谷紀之介。
お香…というと、あなたが市松に撃剣で勝った人?」
「あ…うん…でも最後にひどいこと言っちゃって…悪いことしちゃった。」
「う〜ん…でもさ、市松にとっては結構良い刺激になったんじゃないかな。
現に今まで以上に稽古に励んでいるよ。」
「…そう?」
「でもお香さんの言ったことを全く踏まえてないけどね。その辺、すごく市松らしいよね。」
紀之介がそう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。
話している時の二人は、なんだかとても楽しそうにみえた。
…う〜ん なんかすごく複雑な気分。
元亀四年 四月二十日 増田
砂浜で小船を見つけた。穴は開いてなさそうだし、櫂も無事だ。
ただ、まだ島から出ることができない。
わが命を変えてでも大切にしている、佐吉のふんどし。
あれがこの前の嵐で沖に荷物が流されたまま、いまだわが懐に戻ってきてくれない。
…うう、さきち〜。こんなに愛してるのに。どうしてわしはここにおるのだ。
飯の刻、いつものように不味い飯が配られる。
すると、となりの奴が足元を滑らしてこぼしたため、雑巾を持ってきた。
ピン!っと懐かしいにおいを感じたので、手に持っている雑巾をみてみた。
間違いない。アレは、童用のあのふんどしは…佐吉のふんどし。
「それは俺のだ!」
勢いのあまりぶん殴ってとりかえした。あぶなくふんどしに染みができるところだった。
ただ、そのあと、周りの奴らがいきり立って、殴る、蹴る、叩きつけられる…百発くらい食らった。
石牢に閉じ込められたが、ふんどしだけは無事で助かった。
これで心置きなくこんなところから逃げ出せる。
元亀四年 四月二十日 杉谷善住坊
このところ数日間歩き通しで、さすがに疲労を感じ始めた。
だが、先程から姿は見えぬが何者かの気配を感じる。織田の追っ手か?…いや、これは違うな…
するとその時、すぐ背後に人が現れた。俺は透かさずそいつの頭を肩の上で掴み、身を屈めて背負う様にして投げた。
「いつも同じ遣り口だな弥左衛門。」
と、拙僧は首を撫でながら起き上がる男に向かって言った。
「ひでぇことするなぁ。ちょっとからかおうと思っただけなのによ。普通だったら死んでるかもしれんぞ。」
「おぬしと分かってのことだ。それにしても察しが良いな。」
「柘植の野郎が珍しく知らせてくれたんだ。あんな所を通るなんて、お前も良い度胸してんな。
ところでどうだ、久々に会えたことだし、俺の家に来んか?色々と話しがしたい。いいだろ?」
丁度どこかで休みが取りたいと思っていたので、拙僧は二つ返事でそいつの家に行くことにした。
弥左衛門は拙僧を座敷に通すと、茶の用意をしてくると言い、すぐに去って行ってしまった。
周りはとても静かだ。遠くから鳶の鳴き声が聞こえてくる。
数年ぶりに感じる安堵。やはり旧友とは良いものだな。
すると急に強烈な睡魔に襲われた。
思えば追われる身になって以来、安心して眠れた日は殆ど無かったな。
しばらくは我慢していたが、いつの間にか拙僧は柱に寄りかかり、座ったまま眠ってしまった。
元亀四年 四月二十一日 佐吉
部屋で孫六がなにかこそこそしていた。
なにしているのか確かめようと、後ろから近づいていった。
すると、驚かせてしまったようで、急に振り返った。
ところが、その拍子に手に持っていた笹の葉の舟を押しつぶしてしまった。
「アウ……」
泣きそうな顔をしたので、わびを入れた。
で、その笹の葉の代わりに、折紙で船をつくって、孫六にわたした。
すると、機嫌も直してくれたようで、船を手に持って外に出て行った。
晩御飯の時、孫六がたくさんの筍を持ってきてくれた。
どうやら船のお礼ということらしい。
筍ご飯にしてみんなとたくさん食べた。
元亀四年 四月二十一日 深夜 雨 増田
傷がまだ痛むが、今日はしけっているから雨音で気づかれにくい。
牢屋を抜け出し、隠しておいた船のところへ。
ところが、隠してあった船の底に、大きな穴が開いている。
「あんさんの考えはすべておみとおしやで」
河内弁の男と、炭鉱の親方、そして鉱夫らに取り囲まれた。
「すんまへんな。チクらせていただきましたわ。
親方、また山から脱走しようとする輩が出てくるかもしれまへん。
見せしめのため、ここで叩き殺しておいた方がいいんとちゃいまっか?」
ち、ちくしょう!なんて野郎だ。
親方の号令の下、やつらが得物をもって襲い掛かってきた。
手に持っていた櫂でさばきながら、その場は逃げ出した。
とりあえず、洗濯物の中に紛れ込んでやり過ごした。
しかし、海辺はたいまつが動いてるのがわかる。なんとか今夜中に脱出しないと殺される。
「いたで!こっちや!こっち!」
人手が集まり、火矢まで打ち込んできた。とっさに手にしたたらいで矢を防ぐ。
奥へと逃げ出したが、後ろは断崖絶壁で後がない。
首に巻いてある佐吉のふんどしをみた。そうだ。俺には幸運の守り神がついている。
三丈もの崖を勇躍した。
幸い、深いところに飛び込んだようで、海面に頭を出した。
上から矢が飛んで来た。たらいをかぶって泳ぎ、矢の届かないところでたらいに乗っかった。
もしや、と思ったが、人一人くらい座れる。このまま船に見立てて櫂を漕いで進もう。
元亀四年 四月二十一日 弥左衛門
善住坊が昨日から寝っぱなしだ。
なんだか凄い疲れてそうだったし、休むのは一向構わんのだが…こいつ臭すぎる。
一体何日、体を洗って無いんだよ。
昼間、せめて行水でもしてもらおうと思い、起こそうと色々試してみた。
鼻にモグサを詰めて燃やしたり、煙で巻いてみたり、枕元で大鉄砲をぶっ放してみたり…。
だが、一向に効かなかった。
それにしてもこいつ、寝言を言いまくるな。
昼間は薄笑いを浮かべながらサキチサキチ言っていた。
だが夜になってからはマシタマシタ言っている。
あ〜もう、うるさいし臭いし、こうなったら実力行使あるのみだな。
元亀四年 四月二十二日 佐吉
習字をやっていると、お香さんが話しかけてきた。
「佐吉くん、お鼻に墨がついてますよ」
筆先をなめた時に、おもわずついちゃったようだ。
「鼻といえば、横山のおさむらいで、背が高くって、愛嬌のあるまるいお鼻の方っていらっしゃる?」
「それはきっと、”だんご鼻の権兵衛さん”のことですね」
「そっか…権兵衛って言うのね…」
お香さんが権兵衛さんの名前をしゃべった時、ほほに紅がさしたようなきがした。
「い、いや!別にそんなブサイクな顔の人なんて興味ないんだからね。
背丈だって合わないし。いかにも馬鹿っぽいし。それに、鈍感だし」
なにも振れていないのに、権兵衛さんの悪口が次から次へとでてくる。
お香さんって権兵衛さんと会ったことあるのかな?
元亀四年 四月二十二日 杉谷善住坊
ファ…ファ…ファックショーイ!!!!
自分の大きなくしゃみで目が覚めた。
なんか寒いな……。ん…?ここは…庭…? あれ?俺の着物は…!?
俺は慌て飛び起きた。どうも寝ている間に身ぐるみ剥がされたらしい。褌一丁になっている。
…何が起きたんだ…?全く訳が分からない。鼻の穴からはモグサが出てきた。
呆然としていたら、弥左衛門がひょっこり現れた。
「なんだ、起きちまったか。つまんねぇな。
それにしてもすげぇよお前。丸二日眠っとったんだぞ。
俺も何度も起こそうとしたんだがな、全然起きねぇんだもん。
それにお前、何日か行水してねぇだろ?臭いのなんのって。
だから起こすついでに川にでも沈めて、行水させてやろうと思ったわけよ。」
はぁ…こいつ、相変わらず何を仕出かすか分からん…。しかし二日も眠っていたとは。
「そうそう、お前の寝言はなかなか面白かったぞ。『サキチ〜』とか『マシタ〜』とか。
この二人は誰だ?前のことだから恐らく…」
「う うるさい!」
俺は近くにあった石を弥左衛門に投げつけた。が、簡単に避けられてしまった。
「ハハハハ、やっぱりそうか。お前も相変わらずしょうもない奴だな。ハハハッ。
着物は今洗ってるから、ちょっと待っててくれ。井戸はあっちにあるからな。
まぁゆっくりしていってくれや。」
それだけ言うと、弥左衛門はすぐに姿を消してしまった。
はぁ…佐吉は諦めたはずなのに…なんと未練がましいことか…しかし、良い夢だったな…ゲヘヘ。
だが…増田の方は…変な夢だったな…海か…。
元亀四月二十二日 夕方 増田
浜辺でぐったりと倒れている。体に力が入らない。
嵐の中、たらいで海を渡りきり、もう指一本もうごかせん。
とにかくワシは生きているようである。
疲労と空腹と傷のせいでめまいがして眠ることにした。
ちょうどそこへ二人組の男が近づいてくるのがわかった。
「これですよ。地元の漁師が言ってた、くさくて気味の悪いほとけって」
「まだ息をしているようだな」
「そうみたいですね。うわ、本当に臭う。イカの臭いみたい?」
「どこからきたのだろうか?」
「炭鉱の鉱夫の装束みたいですね。ということは、佐渡でしょうか?まさか?」
「佐渡か。あそこも無法だと聞いてはおるが…」
「お館様も喜平次様も本間一族に甘いんですよ。だから…」
「わかった、わかった。与六、この御仁を家まで運ぶのを手伝ってくれよ」
元亀四月二十三日 仙石権兵衛
玄蕃さまに呼ばれて来た。部屋に入ると人払いをされた。
「ところで、おぬし、ここだけの話し、石山で足利の兵にいたという話はまことか?」
う…昔の話を。嘘をついてもしょうがないので、はい、と答えた。
「ならばな、おぬしに頼みたいことがある。引き受けてはもらえぬか?」
嫌な予感がした。けど、どうも雰囲気が嫌と言わせてもらえなかったので、はい、と答えた。
「おお、そうか。知っての通り、織田家と敵対するのは、将軍家だけではなく、一向宗もかんでいる。
おぬしには石山に出向いてもらい、内部の細作を行ってもらいたいのだ」
あれ?玄蕃さま、近江の石山と石山本願寺をまちがえてるんじゃないのか?
けど、すでに承諾してしまったしなぁ。いまさら前言をひるがえすのはかっこ悪いか。
元亀四年 四月二十四日 長束利兵衛
佐和山城は今上下を挙げて大いそがしだ。
なにせおおとのの急なおおせで兵を運ぶための大船を造らなきゃいかんということで、
おおぜいの人夫が集められ、浜辺でおおわらわの作業が始まっている。
まあ、帳簿については私が手伝っている以上大丈夫だけどね。
…なんか羽柴方のさむらいが用もないのに浜をうろついてる。
近くを見れば、浅野さんが人夫どもに「再来月くらいに、京見物にこんか?」と誘ったり、
遠くにいる杉原さんは材木の数を丹念に数えている感じ。
お、佐吉もあそこにいるぞ。声をかけてみたら、なんかばつが悪そうに
「ん?丹羽さまご家中のすばらしい作業ぶりを見学に来たんだよ」
と見えすいたことをいいやがる。そこで佐吉が小用に行ったスキに佐吉が持ってた
帳簿を見てみると、なんか立派な建物の図面が…
しかしこれは、城じゃないし、かといって普通の家屋でもない。
バテレンのセミナリオかなんかかのう?
元亀四月二十四日 増田
気がつくと、どこかの屋敷の布団で寝ていた。
ここはどこか?とたずねてみると、長尾喜平次さまの御屋敷である、と言われた。
飯をたらふく食って、着物に着替えた後、ここの主と面会することができた。
上座には若くて重苦しい雰囲気を持った男、その側には、さらに年下で色白の美少年が待っていた。
介抱してもらったお礼などをいったが、上座の男は無口で会話が続かない。
しょうがないから、再度お礼を言って、下がることにした。
「喜平次さまは人見知りするから、初対面の人には口が重いんですよ」
後から声をかけられた。さっきの美少年だ。
「樋口与六と申します。喜平次さまの小姓も勤めております」
なんだか、この与六という子の顔を見ているだけで、股間がむずがゆくなる。
そういえば、佐吉とも歳が近いくらいだろうか?
いや、それだけじゃないな。
この子のうしろからただよう雰囲気とか、肌の白さとか、目元の涼しさとか、しゃべり方に気品が漂うところとか。
そういったのが気になるのう。
はっ?胸がどぎまぎする。これって、ひょっとして……。
元亀四年 四月二十五日 杉谷善住坊
弥左衛門に大分世話になってしまったので、何か礼として、拙僧に出来ることは無いかと弥左衛門に聞いてみた。
するとその言葉を待ってましたとばかりに、拙僧を近くの鍛冶場まで連れていった。
最近、弥左衛門は忍の仕事は専ら下請け専門で、普段は鉄砲の製作に勤しんでいるらしい。
拙僧にはその試作品の試し撃ちをして欲しいとのことだ。
数挺のことだろうと思い、そんなことはお安い御用と鍛冶場の外で待っていた。
すると、何やら弥左衛門が台車を引いて戻ってきた。台車には大量の鉄砲が積まれている。
「せっかくだから俺の作ったの全部頼むわ。多少多いがよろしくな。」
と、肩を叩かれた。
「……すごい量だな…。しかしよく見るとみんな凝った作りをしている。」
「あぁ、みんなそれぞれに特徴を持たせてあるよ。
俺の鉄砲は忍が使う。精密さと使い勝手が物を言うからな。
とりあえず弾が飛び出て、音がデカけりゃいいような量産型とは訳が違う。
だからその改良には、お前の腕と、経験からの助言が欲しかったって訳よ。ホント良い時に来てくれたな。」
そう言うと、弥左衛門は拙僧を的場まで急かした。
「この他にもまだまだあるからな。また明日も宜しく頼むわ。
いやぁ、ホント良い感じに俺の家に入り浸ってくれて助かるわ。
お陰で気兼ね無く頼み事が出来るよ。ハハハッ。」
妙に優しいと思っていたら、こういうことだったのか。
元亀四年 四月二十六日 雨 保守
保守
元亀四年 四月二十六日 佐吉
朝、みんなとご飯を食べていると、縁側からハトが入ってきた。
体はまだらに黒ずんでてちょっといやな感じがした。
じっと見ていたら、なんかハトがぼくに飛びついてきた。
気持ち悪いので逃げたら、ハトはぼくのおしりのあたりをつつきながら追ってきた。
市松が「おい、佐吉、おまえハトよりも弱いのかよ」とはやしたてると、
一座どっと笑った。そんな余裕あるなら早く助けてよ!
と、助作の声。「おい、そのハト、足になんかつけてるぞ!」
ハトを振りほどきながら足を見ると、紙切れが巻いてある。
何人かでハトを押さえつけて紙切れをほどいて中身を見て、みんな腰を抜かした。
シンケンシス マシタ
ぼくらの給仕をしていた紀ノ介のおかあさんがあわてて奥の間に走っていった。
そのあとしばらくして、市松が「シンケンシスって何だ?」と言い出した。
誰も答えず、みんなもくもくと、しかし勢いよく飯を食べだした。
しかしこのハト、いったいどういう調教がしてあるんだ?
かごに入れても、ぼくをみるとすごい勢いで飛び掛ろうとするんだけど。
元亀四月二十六日 増田
上杉家のやっかいになって三日が過ぎた。厳密には与六の屋敷にだが。
与六とは実に気が合った。初めに会ったときに感じた気品はもとより、意外な芯の強さのようなものが
見え隠れするところが堪らない。書いてる内にまたこかんがむずむずしてきた。いかんいかん。
与六の屋敷には実に大量の書物があったが、やはり外に出て体を動かさねば体が訛るので、頼んで上杉家の台所で働かせてもらう事にした。
春画の一つや二つでもあれば十年はもつのだがなぁ・・・
元亀四月二十六日 杉谷善住坊
弥左衛門に頼まれた仕事は意外と大変だった。
手に取って出来を見、弾を込めて撃ってみる。
的の当たった所を確認しに行き、気になる点や改良すべき所を弥左衛門から渡された製図に
書き加えていく。
弥左衛門は拙僧に全てを任せて、鍛冶場に戻ってしまった。
なんか弥左衛門の鉄砲は神経を使う。
胴金が弾ける寸前まで削ってあったり、妙に敏感だったり…。
はぁ…こんな柄でもない作業は早く終わらせたい。苦手なんだよこういうの。
終わりがけに弥左衛門がやって来た。
「一通り終わったんだが、こんな感じでいいのか?
これ以上のことは俺に求めるのは無理だからな。」
「いや〜本当にありがとう。参考にさせてもらうよ。
それでさ、お前が一番良いと思ったのはどれだった?」
「一番か…それならあの大柄のだな。あまり凝りすぎは好きではない。」
「ほぉ…これか。」
さて、弥左衛門に頼まれた仕事も終わったことだし、そろそろここを去るとするか。
つぎをみる