初恋の市松? 編

元亀四年 五月九日 佐吉

なかなか帰ってこない市松をさがすため、みんなで手がかりを探すために色々回った。
僕とお香さんは、永原まで出かけて市松を捜し歩いた。
アイツが寄りそうなお店をまわっても、それらしい手がかりは得られなかった。

そういえば、ここにはたしか、権兵衛さんがいるんだった。
「じゃぁ、アイツに市松のこと探すように頼みましょ。そうよ、そうすればいいのよ!」
お香さんは権兵衛さんの名前を出したとたんに、人柄がかわる。
なんだかやけにテンションがあがるんだよね。
ところが、肝心の権兵衛さんがいなかった。
「権は玄蕃のところに呼ばれてから、ずいぶん帰ってきてないんだよな」
たぶん、なにかの仕事で城を離れているんだそうだ。
帰るころは、お香さんの肩が、がっくりと落ちていた。

元亀四年 五月九日 市松正則

あのまぐわい以来城に戻るのもなにか気がとがめて、近江の山の中をさまよい歩いている。
のどがかわけば沢に下りて水を飲み、腹が減れば木の実や魚を食らう。
まるで野人だが、こうしていたほうが自分の気力が満ちてくる感じがする。

…と、こんな山奥にあばらやがあった。
やまがつの小屋かと思ってはいると…うげっ、いかくせええ!
小屋の中には半紙があちこちにはられ、その全てに「佐吉」と書かれていた。
明朝できれいに書かれた佐吉、書きなぐった佐吉、崩し字で書かれた佐吉…
文机には横山城の行政文書が山とたまっていたが、その裏にはびっしりと
佐吉への愛と肉欲に苦しむ書き手の日記が書いてあった。
…あああ、増田だ!!ここは増田の隠れ家か。

文章はねちっこく、読むにたえない。きっと城にいたらむかついて破り捨てて
しまっただろう。しかし、この生々しい、正直な内容にいつしか同じ男として
俺は心打たれるようになった。そして、最後の日記には落ち着いた書体で
こう書いてあった。
「吾唯煩悩之人。莫悪煩悩、宜可愛焉」
(我、ただ煩悩の人。煩悩を悪(にく)むなかれ。宜しく愛すべし)
いつしか、俺は激しく泣いていた。自分でも信じられないほどの勢いで小屋を
飛び出ると、衣服を全て脱ぎ捨て、滝に打たれ続けた。そして叫び続けた。
増田、増田、おまえのことを兄貴と呼ばせてくれ!

元亀四年 五月十日 増田

実は今日、春日山の御館に呼ばれて会ってきた。
城の広間ではなく、離れの毘沙門堂で待っていると、えらくガタイの良い、髭があおあおとした武将が入ってきた。
「入道謙信である。こたびの景虎の件、我に免じて許してやって欲しい」
そう言われて頭を下げられてしまった。
「いやいや、どうか頭を上げてください。御館のご尽力があって助かったことを与六から聞いております」
さすが『越後の龍』と称えられる武将である。素直そうな人だ。
話題はそのまま景虎のことになった。
子を思う親の気持ちは私も変わらない。どうしても、愛想のない喜平次より、景虎を慈しんでしまう。
「そりゃいけませんよ。子供のしつけってのは、親が面倒みなきゃいけないもんだ。
御館様が景虎をかわいがりすぎる分、景虎もその子飼いの連中も気分を乗せてしまいます」
「ほう、景虎はそれほど図に乗ってますか?」
「ああ、もう、ひどいですよ。私なんかも景虎党にひどい目に遭わされました。もっとも、その分、たっぷり御仕置きしておきましたけどね」
「ほう、増田どのはどのようなことをなさってくださったのか?」
「いたずら小僧の尻をペンペンして、見せしめに樹につるしておいたんですわ。フェヘッヘッヘッヘ」
というと、謙信公の表情が一変した。さっきまでニコニコしていたのに、急に不動明王のごときの憤怒の表情を見せた。
「やはりおぬしだったのかっ!?」
あまりの気に圧されて、奇声を発してしまった。
「うぬが怪しいとはじめからにらんでおった。我の愛すべき小姓らを犯梵した罪はみのがせん!
姉上と禅師の助命があるゆえ、命まではとらぬ。しかし…」
「…しかし?」
「汝の尻をもってその罪を裁かん。喰らえッ!」
「ぎゃぁああああっ!!尻が、裂ける!裂けるぅ!」
「フン!フン!フン!フン!我は毘沙門天の化身なり!」
「ヒィ〜〜!そんなの、いやだモン、いやだモン!」
「フン!フン!フン!正義の刃をくらえ〜〜!」
「性器がヤバイです〜〜〜」
とほほ、わしはどうやら調子に乗って、やぶ蛇になっちまったみたい。

五月十日 杉谷善住坊

道は伊勢路と合流し、いよいよ目的地に近くなってきた。
弥左衛門から貰った食料も残りが少ない。
途中に宿駅があったが、面が割れていないとはいえ、寄る気になれなかった。
早く雑賀に着きたいものだ。

それにしても、昨日からずっと拙僧の後ろを付いてくる者がいる。
見た目は行脚僧といった出で立ちだ。
気になって話しかけてみたが、どうも浄土真宗の僧ではないらしい。
ただ行き先が同じ方角にあるということのようだ。
何か危害を加えてくるわけでも無いのだが、何とも薄気味悪い奴だ。

元亀四年 五月十一日 樋口与六

増田さんをおぶって家までつれて帰った。
昨日、京へむかったはずの五郎左どのが喜平次の兄ちゃんのところに駆け込んだのはびっくりした。
兄ちゃんはすぐに義侠心を発揮して御館様のところへ出かけようとした。
けど、今回の騒動は、御館様が中心になっているところがあるから、なかなかお怒りをとるのは難しいと思った。
だから、御館様の頭が上がらない人たち、天室光育禅師と仙桃院さまにお願いして、怒りを解いてもらうよう口ぞえをしてもらった。

「…うう、う…、さきち……、かえらなきゃ……」
背中でぐったりしていて時折つぶやくけど、さきちって誰だろう。息子かな?
この人はいったいどんな生活をしていたんだろうね。

元亀四年 五月十一日 仙石権兵衛

石山の本願寺門前町にひそんでいく日。
今日、やっと石山御坊のやとい兵として入ることが決まった。
佐久間どのの頼みをうけたのはよかったものの、いざ御坊に入るのはなかなか難儀なものだった。
とりあえず、佐久間どのの紹介で、安井道頓という者を紹介されてそこにひそんでいた。
そして、道頓のつてを頼りに入城のてつづきをとり、ようやくこれで石山で内偵ができる。
本願寺はやたらと広く、俺と同じような格好をした地侍や百姓といった連中が、何百人も集まっていた。

これからくるわ内を歩るこうと思った矢先、えらく高そうな袈裟を着た坊主がこっちを見ているのに気づいた。
まわりの話からすると、あれは下間頼廉というやつらしい。
その下間のところにいた近習がこっちにやってきた。
「お前たちはこれから、伊勢で仏敵と戦っている仲間たちの加勢として、長島へ行ってもらう」
なんだよ……ついてねーな。もう、内偵が失敗したじゃねぇか。
しょうがない、ばれない様に黙って長島へ行くとするか。

元亀四年 五月十一日 市松

増田の隠れ家に残してあった枯れ飯をぶらさげながら、今日も近江の山中を
さまよい歩いている。体の弱い佐吉なら腹も下すかもしれないが、
俺の体は今日も元気だ。

気の向くままがけを下りおりると、久しぶりの人の道に出た。
前を見ると五・六人くらいの百姓の一行が見えた。
列の先頭にいるまだ十七・八くらいの男は、俺をみるなりぶるぶるふるえ、叫びだした。
「野人じゃあ、野人のこどもがおるぞお!」
あんまりうるさいのでなぐりつけてやると、男はその勢いで足を踏み外し、
わめきながら沢をすべり落ちていった。

あれ、しまった。あわてて敵ではないことを示そうとするため、
「俺は、こんななりだが羽柴藤吉郎家中、福島市松正則にござる。
 道に迷ってかような格好、許されよ」
と残りの百姓たちに説明した。百姓は納得したように、
「わしらはあんたのとのさまのために、山の木を切り出した帰りやねん。
 あんたがなぐったんがわしらの主人、弥三さんや」
うわっ、こいつらのご主人をなぐっちゃったのか、いくらなんでも多勢に無勢、
謝ろうとすると、
「ご主人は根性なしやが簡単には死ぬお人やあらへん。沢の下から声がするし、大丈夫や。
 この道をそのまま進むと横山に出るし、はよ行きや」
百姓たちに感謝してそのまま足早に横山城に帰ることにした。
しかし、弥三とかいう百姓をなぐったとき、以前誰かを殴ったときと同じ感じがしたが、
気のせいかな。妙に気持ちよかったな。

元亀四年 五月十二日 佐吉

市松が戻ってきた。顔はすすだらけ、着物はヨレヨレ、
ところどころ樹に引っ掛けたような穴が開いていた。
みんな、死んだんじゃないかと思っていた市松が歩いて帰ってきたのをみて、ほっとし、喜んだ。
けど、知らせをうけてやってきたおね様は喜んでいなかった。
市松と対面すると、きつい張り手をほほにくらわせた。
市松は一間もふっとんだ。
「いつもあなたには言いきかせているはずです。人様の迷惑をかけないように、と」
市松は勝手が違ったようで、ポカンとしていた。
「あなたのせいでどれだけの方々の力をお借りしたとお思いですか?
そしてどれだけあなたを心配させたとお思いですか?福島どの」
いつも”お市”と呼んでいたはずのおね様が苗字で呼んだ。
「もうあなたは元服したのです。今までのように気分でふるまってはなりませぬ。
これからは殿のおちからになることで、今日の皆への御恩をお返ししなさい」
言い終わると、おね様の目から大粒の涙が流れ落ちた。
「おかかさま……、いいや、おね様。申し訳ございませぬ。それがし、今日の事を一生忘れません」
市松は平伏して謝罪した。

「うん、うん。それにしても体が無事そうでよかったにゃーも」
後ろでながめていた殿もご機嫌そうだった。
「…?服から香のかおりがする。アンタ、ひょっとして、こんな大事な時に、また尼寺なんかに行ったでしょ!?」
今度のおね様は、顔を真っ赤にさせてとのをぶんなぐった。
とのは十間はふっとんで、板壁に頭からめりこんだ。

元亀四年 五月十三日 保守

保守

元亀四年 五月十三日 加藤虎之助

市松。十日以上もどこに行っていたのか何度か聞いたが、
無愛想な表情を見せて何も言わない。他のはなしをふってみれば、
やっぱり以前の市松なのだが、何かが変わったように感じてしょうがない。

夜。いろりを囲んで小姓たちみんなで話をしていたが、いつしか
「増田キモい」という内容で盛り上がっていた。誰もが増田のキモさに
一度は出くわしてて、それをひとりひとりで披露すればするほど、
みんな増田のキモさを再確認し、きしょく悪いと思いながら興奮していた。

そういえばそういう悪口がいちばんすきそうな市松がだまっている。
なんか不機嫌そうだ。と、そのうちいろりの上にくべていたなべをひっくり返し、
「おまえらなあ、先輩である増田さんをよってたかって悪口言って、失礼じゃねえか!!」
ええ、増田・・・さん?悪口が失礼?俺自身もあっけにとられているうちに、
市松はいよいよ不機嫌な顔をし、隣にいた佐吉を三発くらいなぐりつけると、
「おまえら、最低だよ!」と半泣きの声で部屋を走り出ていった。
え、えええ?親友だと思ってた市松がなんかわからなくなってきた。

元亀四年 五月十三日 孫六

ニヤニヤ

佐吉「あー喉が渇いた。」
紀之介「佐吉。僕の湯飲みに入っている白湯、飲んでもいいよ。まだ余っているよ。」
佐吉「うん、ありがt……紀之介、鼻糞がういてるからいいよ。」
紀之介「ご、ごめんね。」

ニヤニヤ

元亀四年 五月十四日 仙石権兵衛

船で長島に着いた。
ここは木曽川の中州の上にいくつもの砦で固めた複雑に入り組んだ要所だ。
…さっきからずっと俺の顔を眺めてるやつがいる。
船にいるときからずっとこっちに気を配っていやがったので、少し気になった。
こっちから近づいてそいつの素性を確かめてみようじゃないか。
「わしは本多弥八郎と申す。三河の者だ」
その陰気な顔をした男を問いただすと、あっさりと素性を話した。
「そのでかい体、羽柴家の者で似たようなやつを知っておるのだが」
ギックー!
ま、まずい!こいつは俺のこと知っているようだ。ど、どうしよう……。
「うぉーい!権太夫!」
振り向くと、そこに五右衛門がいた。
「お前も来てくれたのか権!みんな、こいつの名は千成権太夫っつって、石山で織田勢相手に獅子奮迅の働きをした猛者だ」
都合よく五右衛門が俺のことを回りに吹いてくれた。
五右衛門も話がうまく、まるで講談師の様に武勇伝を大きく膨らませ、それを聞いていた者たちもみな士気を挙げた。
「権!お前が来てくれたら百人力じゃぁ!一緒に信長をぶっ殺そうぜい!」
まわりもときの声をあげて大騒ぎになった。
あの本多というやつもこの騒ぎでこっちの追及を取りやめたようだ。
…なるべく五右衛門の側にいるようにしよう。

五月十五日 夜 杉谷善住坊

五月の半ばとはいえ、しとしとと雨が降る夜は結構冷える。
雨を凌ぎつつ、火をおこし暖を取っていた。
すると例の坊主が突然話しかけてきた。
「え〜今晩は。今夜はご一緒させてもらっても宜しいですかな。」
そいつは拙僧が返事もしていないのに勝手に近くに座ってきた。
「何日か嫌な思いをさせてしまって悪かったですな。別に付けていた訳では無いんですよ。
いえね、気になることがありましてな。なんと言いましょうか…あなたの背後に何やら物の怪が見えましてな。
どうにか破邪てきないかと何度か試みたのですが、その度に跳ね返されてしましてな。
今すぐ何かをしてくる事は無さそうですが、重々気をつけなされ。」
この拙僧が物の怪に?にわかに信じがたいことだな。しかしさっきから何故か尻がもぞもぞする。

「しかしまぁこのご時世、拙僧にしてみれば、人界は恨みを持って死んだ亡者で犇めいておるのもまた事実。
祟りと言うなら、この世は祟りそのものともいえましょうか。」
「失礼ながら、お主はどういった…」
「自由斎…とでも言っておきましょうか。
拙僧も貴方のことは鉄砲を見て大体見当はついております。
それでは先に休ませてもらいますね。」
そいつは自分の持っていた傘に隠れて眠ってしまった。
次の朝、目を覚ますとそいつの姿は既に無かった。

五月十六日 朝 杉谷善住坊

それにしてもが痛い

元亀四年 五月十六日 佐吉

おとついからの梅雨の大雨で、虎御前山の砦が一部山崩れのために壊れてしまった。
で、ぼくらはその修復のためにかり出された。

崩れたところをつきかためなおしたり、もっこで崩れた土や石を運びだしたり、
柵を再び作り直したり。
こんなに山崩れしちゃうのは、そもそも砦を立てるために木々を刈り払ってるせいだ。
重い土を紀ノ介と運びながら、「戦争さえしなきゃ、こんなところに砦を立てないし、
山崩れもないんだけどなあ」とぐちると、紀ノ介に口をふさがれた。
見ると、神子田さんが様子を見回ってた。紀ノ介に
「ああいう小うるさい人に聞こえると、あとあとめんどうだぞ」と注意された。
ホントだなあ、気をつけないと。

すぐとなりの山でも、宮部どのの部隊が砦の修復を行っていた。しかも、なんか
こちらよりも手際がいい。土運びをしているおじさんたちが
「うちの奉行は手際が悪くてだめやね」と神子田さんの悪口を言っていた。
遠めに向こうの作業を見ると、作業を指揮しているのは田中さんみたいだった。
こういうところで自分の力を示しているのか、田中さんは。

元亀四年 五月十七日 保守

保守

元亀四年 五月十八日 保守

保守

元亀四年 五月十九日 増田

ようやく体調を取り戻した。
ここのところ海を渡ったり、拷問を受けたり、掘られたりで体もすっかり参っていたようだ。
お通じは始末が早くなった気がする。それがいいんだか、悪いんだか……。

さて、越後をでて横山へ帰らないといかん。
しかし、ここでまた問題がでてきた。
例の景虎党の連中が港や北陸道に出張って、道中でわしを狙っているらしい。
犬に化けてもな、いっしょに五郎左がいるから突破できん。
どうしようか。

元亀四年 五月二十日 大谷紀之介

お城の女中さんたちと混じって、お茶請けの変わりに雑談で暇をつぶした。
今日のみんなの話題は、「一日の付き合いだったら、誰と一緒に居たいか?」だった。
この答えは色々とばらつきが出た。
まず一番多かったのは、蒲生忠三郎さま。
やっぱり、顔が良くて、頭も良くて、気立てもあり、若くて人望もあるし、御曹司だし。
僕も一番になるのは忠三郎さまじゃないかと思っていた。
他には、殿とか、森武蔵守さま、半兵衛さん、あと佐吉という答えもあった。(僕もチョットだけあった)

その後の質問で、「一生その人と居ることになったら誰が良いか」というのがあった。
これが意外や意外、圧倒的に増田どのだった。
あまりの答えにおもわず「なんで?」と声が出てしまったくらいだった。
十代の人は個々に別の方々の名前を挙げていたけど、二十代、三十代の人の意見は、
「顔が良い、悪いはとくに問題じゃない。いい顔でも三日で飽きる。それに、男は年中家に居ないからね」
「それよりも、あっちの方が上手い下手の方が問題なんだ」
「増田って変態って聞いてるけど、そういう奴に限ってアレがすごいって話だからねぇ」
もうそこからはおばさんたちのワイ談が止まらなくなった。
聞いているだけで顔が真っ赤になり、とうとうみんなに、
「あら、紀之介くんにはまだ早かったかな」
と大笑いされてしまった。

元亀四年 五月二十一日 仙石権兵衛

長島にある砦のひとつに俺と五右衛門はいる。
ここに織田勢が向かってきているという知らせがはいった。
三つ巴の旗印。相手は氏家殿の軍のようだ。
合戦が始まって、砦からも弓で応戦する。
さんざんに矢を射てみたが、いっこうにひるむ気配がない。
そういえば、卜全殿をこの長島で失っているんだっけ。
俺はというと、相手が織田家と言うのもあるが、同郷の氏家様だからなぁ。
矢が外れるように狙って放っている。
やがて砦内の矢をすべて放ちつくした。相手も機をつかんで馬を駆って突撃してきた。
「ようし!今じゃ!」
五右衛門の指揮のもと、あらかじめ用意されていた種子島銃を一斉にぶっ放した。
相手もこれほどの量の火縄銃があるとは思っていなかったようで、先陣を壊滅する戦果をあげた。
「みたか織田モン!ここの砦が欲しけりゃ信長つれてこいや!」
五右衛門は器用なやつで、銃の扱いもうまい。だが、なによりも、銃でどうやったらてっとりばやく倒せるかを熟知しているようだ。
氏家殿は退却され、いくさは片付いた。

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