それぞれの夜 編

元亀四年 二月二十日 仙石権兵衛

公方の軍から抜けられずにいる。京は近江の石山でほかの兵
どもと砦作りをしている。しかしまあ下手なつくり方。
俺にはむずかしいことはわからんが、以前虎御前山の築城のときに
孫平次や久兵衛が作事指揮をするのを見ているが、あれに比べても
土塁の傾斜が甘いし、つきかためもへたくそ。虎口にもなんの工夫もない。
たまりかねて「ここはこうしたほうが」と言ってみると、作事
奉行のおっさんが目も見開いて「すばらしい!」と叫び、
俺にだきついてきた。
「貴公、ただもんやないな。名はなんという?」
「せ、せ・・・せんなりごんだゆうにござる」
あわてて偽名を名乗った。だきつかれるとちょっと汗くさい。
おっさんはそのまま息せき切って
「おお、千成どのというのか。で、その城の知識はどこで」
「は、はし、はしば・・・」「はしば?」
「いやいや、はしばしまで松永弾正殿に教わりもうした」
「おお!、あの松永殿にか!それもはしばしまで!!」
なんかそれから下にも置かないもてなしをうけ、20人を率いる
足軽組頭にされてしまった。さらに作事奉行のおっさんに、
「千成どの、この戦に勝ったら二千石を与えるゆえ、次の戦、
 なにとぞお頼み申す。その立派なご体格でその知識、ひとかど
 のさむらいであったのにわけあってご退転されたんやろ」
う・・・なんかすごい変な展開に。悪い気はしないが、もうすぐ
織田勢が攻めて来るんだよな。
「ところでお奉行、こちらに攻め寄せる織田の敵将はどなたか
 ご存知ですか?」
「おお、柴田権六を大将に昨日岐阜を軍がでたと知らせがあった。
 副将が蜂屋、それに丹羽五郎左と明智十兵衛が合流するそうや」
とのが来ないのは一安心だが、権六か!それにまた明智の鉄砲を
くらわにゃいかんのか・・・逃げようにもなんか一層逃げにくく
なったしなあ・・・

元亀四年 二月二十一日 佐吉

郡山に左近さんと戻ってきた。
筒井様とあったとき、
「さこん!よくぞ無事にもどってきた!わしは…、わしは……」
といって、との様のいげんも関係なく、大つぶの涙をながして左近さんの手を握っていた。
「こちらにいらっしゃる石田佐吉殿に助けていただきました」
と、左近さんが説明してくれた。
「おお、石田殿、礼を申す。左近はわしの半身とおなじ。貴殿のおかげでわしの半身が戻ってこれた」
そういって、筒井様はぼくの手もにぎってくれて、ブルンブルンと何回も振ってくれた。
筒井様から御礼として、近江作の脇差をいただいた。
退出した後、虎と市松に出会った。
二人とも、先に戻っていたようだ。
もらった脇差を見せると、両人は目を丸くしていたようだった。

元亀四年 二月二十一日 増田

坊主と一緒に佐吉を探しつづける。
佐吉の臭いをかぎあてて、ついに庵を見つけた。
庵の中にはこのまえ見たジジイ一人。坊主と二人で刀をもって、打ちかかろうとした。
「くらえ、じじい!」
そういって坊主が飛び掛ると、ジジイは印を十文字に切ると、
「しぇーーーー!!!」
奇声を坊主にぶつけた。坊主は飛び掛ったままカチコチになり、目と口をあけたまま、コロンと倒れた。
わしは何がおきたのかさっぱりわからないまま、刀を抱えたまま動けなかった。
「ほっほっほ。お主、偉いのう。わしに殺されるとわかっていながら、逃げ出そうとせず、こいつと一緒に死んでやるのか?」
足がガタガタ震えていた。ジジイの顔をみると、笑っていた。虎が笑っているようにも見えた。
すると、不思議な空気に包まれ、佐吉の声がした。
「増田くんごめんね」
佐吉は後ろにいた。だが、はだかの佐吉ははだかの坊主と手をつないでいた。
「ぼく、増田くんじゃもの足りないんだ。これからは杉谷さんと一緒になるよ」
坊主が勝ち誇った目でわしを見つめる。
「杉谷さんって、すごくいい人なんよ。増田くんより気持ちよかったぁ。またやってよ」
坊主も佐吉の目を見て、ああ、とうなずき、二人は背中を見せて去っていった。
「いやあああああああああぁ!!!」
佐吉、佐吉と呼ぼうとするも声にならず、腰砕けになってただ涙を流した。
すると、もとの庵の中にもどり、さっきのジジイが床をバンバン叩いて大笑いしていた。
むっかーーー!でも、側で坊主がまだコチンコチンになってるから、怖くて怒れない。

元亀四年 二月二十二日 佐吉

横山へ帰る事になった。 筒井様と左近さんがわざわざ外まで見送って下さった。
しかも僕たちの為にわざわざ小ぶりの馬まで用意してくださった。筒井様は気前が良いなぁ。
「尼を紹介することはできぬが、この剛の者を変わりに羽柴殿に紹介されよ」
と筒井様が、見るからに悪そうな男を連れてきていた。名前は左京、年は僕たちと同じ位らしい。
「実はこの者城内で喧嘩騒ぎを起こしてな・・・非はあちらにあったのじゃが五人も殺めてしまったのじゃ」
そんなのを紹介してどうするんだ、と僕たち3人の顔がひきつった。でもいらないとは言えないし。筒井様は曲者だ。

元亀四年 二月二十二日 大谷紀ノ介

「キノコ、急ぐぞ!」
もうキノコと呼ばれることにも慣れた。
今日行ってきたのは、菊亭卿の御屋敷だった。
「アイツが患者と接触しだした、という知らせがはいった」
先生をここまで感情的にさせるその人って、いったいどういう人なのだろうか?

「このご時世ですから、お父上が末法思想におちいるのはいたしかたないことかと」
菊亭卿の奥さんのお父さんが、世の中を憂えて死にたがっているらしい。
最近、貴族の間でも自殺希望者が多いそうだ。
「で、その極楽浄土へわたる三途の川の渡し人が、おまえか!?木里子全宗」
「ふふふ、まるで私が死神じゃないですか、道三先生」
剃髪した医者らしい人がそこに立っていた。なにより目立つのは、顔の右側がやけどで大きなあざになっていることだった。
木里子先生は、元は比叡山の僧侶でもあり、先祖代々、医者の一族らしい。
あの比叡山の焼き討ちの時も先生は山にいて、そのあと環俗。丹波という姓もあるらしい。
薬草、漢方、とくに毒物、劇薬の知識に優れている人だった。
「人殺しの片棒を担ぐやり方だ。そういうのを偽善という」
「ぎぜん?あなたに言われるのは心外ですよ」
木里子先生は、ぼくの方を向いた。
「あの子、先生の患者でしょう?業病をわずらっているじゃないですか。可哀想に、つらい未来が待って……」
「この子の病は必ず治るやまいだ。私が必ず治す」
「……ふふ、私と貴方はいつもぶつかり合ってしまいますね。今日は失礼しますよ」
先生はその後、僕とは一言も口をきいてくれなかった。

元亀四年 二月二十三日 佐吉

 山城の国境にある柳生庄にやってきた。
左近さんの紹介で、柳生さんにぜひあって欲しい、とすすめられてきたのだが。
「ようこそいらっしゃいました。柳生十兵衛、名を宗巌と申します」
あれ?剣豪というのを想像していたんだけど、なにこの目の前のやせたおじさん?
剣は身に付けておらず、今まで畑仕事をしていたらしくて、うしろに束ねただけの髪の毛が汗でぬれていた。
「剣のことですね。それでは、こちらで説明しましょうか」
といって、川の側にある小さなお寺に連れていった。
木の棒をわたされて、これであの枝を切るようにうって下さい、と言われた。
ドゴッ!ボゴン!虎も市松も、そして左京くんもいい音を響かせている。
ぼくも負けじと手に力が入り、気力をふりしぼって枝にうちかかる。
柳生さんは……ただ縁側に座って、微笑みながらこちらをながめているだけで、何も言わない。
みんな練習に熱が入って、手が豆だらけになった。
「みなさんは手に豆ができるほど、力を入れていますが、じつは力を加えれば加えるほど剣の道から離れていくものなのですよ」
そう言って柳生さんはこちらに近寄り、ぼくの手から棒を借りた。
「棒を振り上げる同じ力でうつ。コーーーーン!
 かまえて振り上げたら同じかまえに戻すようにうちこむ。コーーーン!」
柳生さんの打ち込みだけは、他の人と打ち込む音が高かった。
「これが『斬る』です。これを守れば、なんでも斬ることができますよ」
市松は不満らしく、つばを飛ばしながら文句をいった。そんな何でもなんてできるもんか、と。
柳生さんは、みんなを山奥へと連れていった。
そこで家に帰り、赤ん坊をあやしている奥さんから、剣を借りて、大岩の前までやってきた。
そこからは、あっという間の出来事だった。
剣を抜いて、上段に構えて、岩を斬りつけると、大岩は真っ二つになった。
ぼくもみんなも、あっけにとられて何も言えなかった。
「わが剣は天地にひとつ。剣の道に力も技も必要ではないのですよ」

元亀四年 二月二十三日 大谷紀ノ介

お使いの最中、ぐうぜん木里子先生と出会ってしまった。
昨日あったときの重苦しい雰囲気を持っておらず、気さくにお茶をご馳走になった。
「あの……言いにくいんですけど、先生は人殺しを手伝うんですか?」
「ああ、するよ」
「……」
「……私は昔、比叡山で仏の道をめざしながら、医術の勉強をしていた。
そこに織田信長が攻めてきてね。目の前でたくさん人が死んだよ。
でも、それよりもさらに多くの人が、死にたくても死にきれない地獄の苦しみを味わっていた」
先生はうつむいて、だんだん小声になってきた。
「私の未熟な腕では助けることもできなくてね。せめて痛みを取り除いてやるんだが、みんな、ありがとう、ありがとう、と言ってくれたんだよ」
それから死の介添人、木里子全宗が誕生した。
「道三とはついむきになってしまうが、君はあの先生の言う事に従った方がいい」
そういって先生と別れた。
でも、なんだろう?道三先生と木里子先生って、実はすごく似た者同士じゃないか、って思った。

元亀四年 二月二十四日 佐吉

 柳生先生が、
「悪いことは言いません。少しの間だけ、柳生に居た方がいい」
と僕たちを引き止めた。しばらくすると、北の方から、ときの声と金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。
「織田の軍と将軍の軍が戦っているんです。すぐに決着がつきますが、血の気の多い落ち武者にであうと危険です」
先生の言うとおりすることにした。

それぞれ、剣を教わったり、畑仕事を手伝ったりした。
ぼくは子供の面倒をみる。
5人もいるんだけど、みんな手の付けられないくらいのクソガキばかりだった。
とくに末のやつが、一番生意気で言うことを聞かない。

夕方になると、北の空が炎で真っ赤に染まった。
柳生先生は、その光景をみて泣いていた。
「私は今の将軍も、お兄さまも、お会いしたことがあります。あの方々は伝統を大事にし、非常に頭が切れる人たちでした」
そういうと、又右衛門がぐずついたので、あやしながらしゃべった。
「しかし、あの方も、その周りにいる方々も、とても欲が強い。その強すぎる欲を抑えなかった故に、足利の時代を終わらせてしまう」
将軍の軍とはいまのところうちらと敵対しているけど、先生の話をきくと、すこし悲しく思った。

二月二十四日 仙石権兵衛

ついに織田の大軍が攻めてきた。
とてもたすかることに俺の守る場所の正面に攻めかかってきたのは
柴田勢でも明智勢でもなく、×の旗印の五郎左どのの手勢。
本来の味方を殺すわけにはいかんので、わらわら上ってくる兵に片っ端から大きな石を
転がしてぶつけて落としていった。顔バレしてもまずいので面甲をつけた。

「おい、あそこにいるでかいの、ありゃ権兵衛やないけ?」
げっ?と思って下を見たら孫平次!あ、とのが丹羽どのの助勢を出しているのか。
孫平次のとなりにいる伊右衛門は「まさか」という顔でこちらを見ているが、
となりにいる伊右衛門の郎党の五藤吉兵衛が
「いんや、間違いありませぬ。ありゃ仙石殿にござる。諸行無常でござるのう」
としたりがおで俺を指差す。
なんかすごくまずそうなうえに腹も立ったので傍らの一番大きな岩をやつらにむけて転がしてやった。
三人とも岩とともに転がっていった。

・・・?後ろからなんか熱い視線を感じる。振り向くと、足利の兵どもが俺をうるうる目で見ていた。
城将の「我がほうにもかくのごとき勇士あり、ものども、はげめや!」
の声とともに兵がいきいきと防戦を始めた。
あれ、俺、もしかしたら織田の敵に積極的に貢献しちゃってる?

元亀四年 二月二十五日 佐吉

今日は柳生先生が、上泉伊勢守とたちあったお話をしてくれた。
「宝蔵院で師匠とあった時の私は、力と技で相手を圧倒する剣でした」
伊勢守と先生は、三回立ちあって、すべて先生の剣をはじき飛ばされてしまったらしい。
甥の疋田文五郎と立ち会っても同じ結果だった。
先生は、即日、新陰流に弟子入りをした。

「その時の師匠の構えは、こう、私が見たこともない剣を立てない構えでした」
それは、片手で剣をだらりと下げ、まるで子供が棒で遊んでるようにも見えた。
「剣を立てると、頭を打とう、腕を払おう、という考えばかりうかんでしまう。
しかし、この構えで人と立ち会うと、相手が次にどういう動きをするか、すごくよくわかるんですね。
逆だったんですよ。相手を打とうと考えるのではなく、できるだけ無に近づく。
私はこの構えを、『無形の位』と名づけました」

教わったことをためすため、さっそく市松と立ち会ってみた。
市松は木刀を上段に構える。……なるほど、たしかにどう攻撃してくるのかよくわかる。
よくわかったんだけど、頭に一撃を食らった。頭が割れるかと思った。
「石田君の場合は動きを見すぎですよ。きちんと動かないと」
先生にぬれた手ぬぐいでたんこぶを冷やしてもらった。

元亀四年 二月二十五日 大谷紀ノ介

今日は朝から忙しかった。近江石山での戦闘が激化して、負傷者がどんどん運ばれてきているからだ。
道三先生はいつもどおり、一人でもくもくと治療し続けている。
夜になると、一段落して先生に食事をもっていってあげた。
「なぁ……キノコ、私は恐れているんだ」
先生は頭をなでてくれると、そう話しだした。
「お前の病を治療する方法を知っている。しかし、それは例えるなら髪の毛一本分の綱渡りぐらい難しい」
そういって、先生は机にうつ伏した。
「いけないよな。失敗することを恐れて、おまえの病の苦労まで気をもんでいない」
「先生のおっしゃることはよくわかります。でも、僕はこう、思うんです。
人が生き死にを自由にしようなんて、おこがましいと言うべきではないでしょうか?」
先生は少しあぜんとしていた。
「……わかった。そろそろ薬が体中に効いているはずだ。明日の夜、外科手術をおまえに施す」
僕は手術の結果がどうなろうと、こわくない。

元亀四年 二月二十六日 仙石権兵衛

結局、砦は落ちた。
うちらの陣営だけは最後までねばっていたが、それでも矢と石が尽きると、織田勢の攻撃を押し返せなくなった。
俺たちは砦を脱出する。
人数を確認すると、俺が率いた奴らだけ死人が出なかったのは奇跡だった。
ひとり、鉄砲に撃たれた奴がいたから、そいつを京の医者へ連れて行こうと思う。
残りの奴らは、具足や槍などを捨てさせて、バラバラに散らばりながら逃がした。

「よう、あんたも無事だったか。」
あの夜襲へいく時に一緒だった人だ。ひさしぶりに戦友と出会い、おもわずほころぶ。
「なんだ、負けちまったって言うのに、ずいぶんサバサバしてるじゃないか?」
「ああ、なんだか、たまには負け戦も悪くない、って思ったよ」
つぼに入ったのか、大笑いされてしまった。でも、なんだか憑き物がおちた気がするよ。
やるだけやって、おまけに生き残ることもできたからかな。
「まだ名のっていなかったな。俺は、石川村の五右衛門」
「俺は、……千成権太夫」
五右衛門と再会を誓って、俺は京を目指した。

元亀四年 二月二十八日 仙石ゴンベエ

傷ついた兵を大八車でひきながら、逢坂山の関所まで来た…が、
関所にはためくかりがねの旗。関所はすでに柴田どのの手勢で埋め尽くされていた。
京に行きたいといっても、入口の足軽が通してくれない。
「どうせ公方の兵だったんじゃろ。京に戻ったらじき討死じゃ。
 兵なんかやめて里へ帰れ」
せめて傷ついた兵だけは京で治療を受けさせたい、と粘ったら、
足軽の後ろから「よいよい」と明るい声が聞こえた。 
「わかったわかった。この大八車の足軽はわしがひきとってやる」
坊主頭のおおきなあざのある医者で、にこにこ顔が信用できたので彼に
兵の治療を頼んだ。名は全宗とかいうらしい。

で、俺は金もなし、帰るところもない。仕方ないので大津の港で下働きをして
働くことになった。さっそく今日は大津から戦場である堅田に向けて舟で運ばれる
物資の積み込みだ。力仕事は楽しいが、はあ、日付もたってるし、なんか横山城
にすごい戻りにくくなっちゃってるなあ。孫平次や伊右衛門にはやっぱりバレ
ちゃったのかなあ。

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