紀之介頑張れ!編

元亀四年 二月二十六日 大谷紀ノ介

「キノコ、お前の尻を貸してもらえるか?」
……道三先生の突然の申し出に、正直とまどった。
僕が先生の顔を見て、真っ赤っかになったのをみると、
「衆道の意味じゃない。尻の皮が必要だ、ということだ」
そう、すこし口もとをゆるませて言った。
ああ、よかった。変なこと口走らなくて。

いつも飲む分とは違う薬を飲むと、だんだんと眠くなった
眠りに就く前に、夢を見た気がする。
佐吉が出てきた。寺だ。坊主が追っかけてきた。二人で必死になって逃げた。
佐吉にあいたいなぁ。

元亀四年 二月二十六日 佐吉

紀ノ介に会いたいなぁ、って考えながら寝たら、夢の中で紀ノ介が出てきた。

僕が坊主に追いかけられている夢だった。
走って逃げて、とうとう崖に追いつめられる。
と、そこへ、空から紀ノ介が飛んできた。
足の裏から火を噴いて、坊主に向かって一直線に突っ込んでふっとばした。

そんな夢を市松にしゃべってみたら、
「わかりづらい。もう少しわかりやすい夢をみやがれ」
といって殴られた。
これだから想像力が欠けてるやつはこまる。

元亀四年 二月二十八日 佐吉

今日は柳生先生に「まろばし」を教えてもらった。
といっても、歩き方の工夫らしい。
「剣では主導権をにぎることを『先』をとる、と申します。
これは間合いを調節することで、さきに行動の自由を勝ち取ることをあらわします。
たとえ、相手から切りかかられたとしても、足捌きによって間合いをずらし、つねに先をとるように工夫しましょう」

頭ではわかっていたんだけど、先生からはとうとう合格をもらえなかった。
それどころか、又右衛門がなにげなく歩いているだけなのに、
「おお!その力の抜き加減、さすが又右衛門。やはりお前は才能がありますね」
先生は親バカぶりをはっきしだした。
二歳児にすらおとるぼくの剣の才能って……orz

元亀四年 二月二十八日 曲直瀬正盛

キノコの手術を施してから3日。薬の効用でキノコはいまだ眠っている。
手術の手応えはあったが、何分皮膚の移植は私でも初めての経験だ。いや、
李朱医学でも聞いたことが無い。果たして移植という手段は正しかったのだろうか。
この京は一つ角を曲がれば、餓鬼道と見紛う程に蛾死体で溢れているが
、死者の皮膚を使うわけにもいかない。
その為生きたましらの皮膚を用いたが、キノコの体が拒否反応を起こせば手術は失敗する。
そう、今回の手術は、一種の賭けであった。しかも分の悪い。
そんな折、診療所の戸を叩く音が聞こえた。
全宋であった。しかも手負いの足軽風の男を連れている。
「その子の経過はどうですかな?道三先生」
「貴様、また人を殺めるつもりか!」
「いかにもそうですが、その前にその子の役に経たせようと思いつきましてね。」
私は怒りがこみ上げると同時に、希望の光が立ち込めた気がした。不思議な感覚だった。
「そんな事、出来るはずが無い。」と言う言葉が何度も口から出かかったが、その度に私は押し黙ってしまった。
そして、その足軽風の男は診てみれば大した外傷ではない。気を失ってはいるが命に別状はなさそうだった。
私は黙って、素早く手術衣に着替えた、すると全宋も私の予備の手術衣を着始めた。
「こんな事言うのもなんだが、貴様にしちゃ珍しいな。」
「ふざけないで頂きたい。私も医者のはしくれだ 命が助かるにこしたことはありません…」
また、長い夜が始まる・・・

元亀四年 二月二十九日 佐吉

先生にならったことを頭で思い出しながら虎之助と試合をした。
「野牛にでも剣をならったのか?しっかりしろwwwwwww」
・・・と、罵声を浴びせられた。結果はあえて書きとめておかないことにする。

元亀四年 二月二十九日 曲直瀬正盛

業病という名前は、生まれ変わる前に大罪を犯したゆえに、生前の業を背負っているからそう呼ばれているらしい。
私は医者なので、そういった輪廻とか業とかは信じられない。
キノコの皮膚移植手術を続行する。
この一ヶ月間、私の用意した薬を与え続けて内側の病をきれいにした。
そして、むくんだ顔や指の皮下組織をとりのぞく作業を続けている。
皮膚が足りなかったので、全宗が連れてきた男の皮膚もすこしもらった。

夜が白んでくるころ、手術も完了した。
こうしてみると、まるでキノコの体は、ぞうきんのようにツギハギだらけだ。
「道三先生、糸はずっとこのままなのですか?」
「いや、皮膚が体に定着したら、糸を抜いても大丈夫なはずだ。多少、傷になるだろうが、病のころよりかは目立たなくなる」
本当にキノコの前世に罪があるなら、また発疹が出るだろう。
業病がただの病気なら、治すことができるはずだ。

「貴方と私の考えが正しいことを仏に祈りますよ。あの足軽もよろしく」
そういって、木里子は出て行った。
皮をもらった男の鉄砲傷を治療した。応急処置は完璧だし、弾は貫通しているようだ。
男が気がついて、
「代金は千貫だからな」
とおどかしたら、びっくりしていた。そいつには、もう勘定はもらった、といってやった。
やっぱり、私の金銭感覚は、ざっくばらん過ぎるか。

元亀四年 二月三十日 大谷紀ノ介

包帯でぐるぐる巻きにされて、ミノムシのようになってる。
身動き取れないので、寝台の上で寝ているしかない。これじゃぁ、まるでまな板の上のコイだ。

今日も先生はいつもと変わらない。
いつものように患者を診察し、いつものように途方もない金額を請求する。
そして、お客はびっくりしたあと、怒って帰るか、しぶしぶ受け入れるかだ。
何もすることがないので、暇を見つけてたずねてみた。
「私の要求する金額が高すぎるだって?
 確かにそうかもしれない。でも、銭が高すぎる、って考えられるうちは、その患者の病はまだゆるい方だよ。
 本当に病人の苦しみを考えてあげられる人というのは、どんな苦労を背負ってでもその人を助けてあげよう、と考えられる人をいう」

お昼にいつもやってくる奥さんが支払いをしにきた。
「たしかに受け取りました。これでようやく半分。頑張ってください」
気になって支払う金額を尋ねてみた。その人は二千貫も払わなければならないらしい。
「あの奥方は、十年前に息子の腹が痛み出したので私が診たてた。方々に回って最後に私のところに来た。
 それ以来、ああやってお金ができる度に、勘定を支払いにやってきてくれる。
 病になるのは確かに不運だ。しかし、そばにあのように自分を大事に思ってくれる人がいる人生は、はたして不幸かな?」

今日はなにもできない一日だったけど、すごく気分が良かった。

元亀四年 三月一日 佐吉

村の噂をきいたけど、近江堅田の公方軍を二十九日に打ち破ったらしい。
畑仕事を手伝うために畑を歩いていると、むこうから織田家の雑兵7人が歩いてきた。
そしたら、畑に勝手に入って、野菜を掘り起こして食い散らかし始めた。
頭にきたのでやめるよう注意すると、ひとり無精ひげの男が刀を抜いたので、おもわず言ってやった。
「お前らに柳生新陰流の真髄をみせてやるからな!」
そしてすぐさま家へと走り、柳生先生の手を引っ張りながら畑に連れて行った。

元亀四年 三月一日 つづき 佐吉

柳生先生がくると、雑兵たちも全員刀を抜きはじめた。
先生は、あらそいを回避できないことを観念したのか、あの独特の力を抜いた構えを布いた。
「佐吉くん、これまで私が教えたことは覚えているかな?
無の心。
斬る技。
先を取る体捌き。
これらみっつの奥義を極めることによって、柳生新陰流の「無刀取り」にたどり着くことができます」
7人全員が先生に向かって斬りかかってきた。

その後は一瞬の出来事だった。
一番右端の刀をあて身をあてて奪い取ると、一本、二本とはじき飛ばし、後ろから斬りかかった剣を受け止めそのまま柔で地面に投げた。
残り三人は同時に斬りかかったけど、先生は刀をかいくぐって後ろに回り、全員の刀をうばっていった。
僕を含めて、みんな何が起こったのかわからず、あっけにとられて立ちすくんだ。
先生は、七人全員にビンタを食らわしていって、こういった。
「少し痛かったかな?怪我をしないように気をつけながらやったつもりだけど」
雑兵たちはおびえだし、われ先にもときた道を尻に帆をかけて逃げ出した。
今日の出来事で、やっぱり先生と言われるだけの実力があると、確信できた。

元亀四年 三月一日 福島市松

晩飯時の佐吉は、箸を剣にみたてて、今日のできごとを熱く語ってくる。
ちくしょう!そんなすげぇことがあったなんて、俺にも一声かけろってんだ。使えねえなぁ。
だって、あんなひょろひょろとして、ガキどもに毎晩もみくちゃにされて、強そうに見えない柳生先生が本気を出したとこ、みたかったなぁ。
「しかし、なんだって織田家の雑兵がこの村に?」
お虎が先生に質問した。
「いくさで人を斬った後は、たいていは血が高ぶっています。あの人たちも暴れ足りなかったんでしょう」
そういう先生は、人を斬ったことがあるか?と聞いてみた。
だけど、笑っただけでそのまま飯を食べ続けた。

「そろそろ潮時かもしれないな」
寝る前にお虎の顔が深刻になった。
「先生には世話になりっぱなしだし、織田の人間が狼藉をはたらいたことが村中に知れたら、俺たちも居心地わるくなるだろう」
ふーん、そんなもんなのかね?
まぁ、俺はそろそろ土いじりにも飽きてきたころだから、いいな、と答えた。

元亀四年 三月二日 佐吉

早朝、おせわになったはなれ部屋を掃除して、柳生先生に旅に戻ることを告げた。
先生からは、二、三度と引き止められたけど、やはり公務で来ているから、はやくとのの元へもどらないと。
軒を越えたところで、急に着物のすそをひっぱられた。
又右衛門だった。
「さきちー、やー、やー」
お別れのあいさつをしようと思っても、又右衛門は泣き止まない。
そのけなげな姿を見ると、鼻がつんとした。
「ごめんよ、ぼくたち帰らないと怒られちゃうんだ」
大声で泣きわめく又右衛門は、先生にだっこされて、僕たちは村を出ようとした。
すると、くもり空から雨が。そのまま滝のような大雨に変わった。
出発は明日にのばすことにした。
夜、寝るときに又右衛門が布団にもぐりこんできた。
なんだか、僕に本当の弟ができたようで、うれしかった。

元亀四年 三月二日 大谷紀ノ介

足軽さんに布団を動かしてもらって、縁側から嵐山を見た。
嵐山はちょうど山桜が満開だった。
去年のいまごろ、自分がこんなことになるなんて思いもしなかったなあ。

足軽さんは帰るところもないので、しばらく道三先生のお手伝いでここで働くそうだ。
とっても話好きな方で、いろいろ聞かせてもらった。
故郷の大和の山野のこと、貧乏百姓の五男坊に生まれたために足軽にならざるをえなかったこと、
筒井どのの兵、松永の兵、公方さまの兵と、いろんなところを転々としてきたこと・・・
「そうそう、先の石山での戦いで一緒に戦ったお侍はえらい強かった。
 でっかい体に愛嬌のあるお顔でな、大きな岩を軽々と敵にぶつけては落とし、ぶつけては
 落とし・・・けがをしたわしを大八車にのっけて、あちこち走り回ったり、いいお侍やった。
 でも、松永さまに城取りを学んだとかいっとったが、ちいとも大和なまりはなかった。
 むしろ、尾張とか美濃なまりだったような」
なんか自分の中で思い当たるものがあったので、聞いてみた。
「そのお侍の名前は?」
「うーん、千成権太夫とかいっとった」
せん、なり、ごん、だゆう?で、尾張か美濃なまり!
まさか、権兵衛さん?
まあ、いくらなんでもそんなことはないか。
自分の中ではなんとなく不安はぬぐえなかったが、今の自分がどうにかできるわけ
ではないので、心にとどめておくことにした。

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