囚われの増田編

元亀三年 十一月二十日 佐吉

三河の徳川さまご家中の方から、増田くんがまだ着いていないとの文が来たらしい。
小一郎さまは「徳川どのへ顔がたたんなも・・・。こんなことなら増田が岡崎城
に入るまで見張りをつけにゃいかんかったわい」と嘆かれ、
小六の親分は「あのやろう、こっそり戻ってきたとて帰参なぞさせてやらんわ!」
といきまいている。
誰も道中なんかあったとか思っていないところが増田くんらしいね

元亀三年 十一月二十日 とだ

昨日寝ていたら、いきなりうえだくんが、部屋に入ってきて、
「今追われているから、助けてくれ。」と言ってきたので
部屋の前で竹刀を持って、構えていたら確かに何かいる・・
僕はその何かが自分の前まで来るのを待って木刀を振りかぶった・・
いい音が響いて「痛い痛い」と声が聞こえた
僕が手を緩めると一目散に逃げていった。
うえだくんに伝えようと思ったらもう僕の部屋にいなくて、
次の日、このことを丹羽様に伝えたら「もうよい忘れろ」と言って相手にしてくれなかった。
しかし丹羽様、階段から落ちたのだろうか?
ものすごく背中を痛そうにしていたが・・。

元亀三年 十一月二十一日 佐吉

お城に田中さんがいらしたので、またせがんでおかゆを作ってもらった。
今日はヤマイモ入りの特製だ!
田中さんはぼくと紀ノ介が食べるのを「佐吉くんも強くならなくちゃな」と言いながら
うれしそうにみてた。

しばらくして、田中さんがもじもじしながら、「聞いてくれるかい?」と切り出してきた。
うちのとのが田中さんのご主人の宮部さまを調略したとき、
人質がわりにとののご一門のおこさまを宮部家に差し出したそうだが、
「その子っていってもさ、羽柴どののご一族ってことは、大きなことでは言えないけど
 そこらあたりの百姓の子なわけよ。それがたった四歳で突然親元を離れて人質に出されて、
 さらにさむらいや侍女にかしづかれて大事にされて、気が動転しちゃうのも当然だよね。
 最近はさらにふさぎこんじゃって部屋からも出てこなくなっちゃってね。
 宮部さまになんとかならんのかと言われてるけど・・・困っちゃってねえ。
 そうだ、年の近い佐吉くんと紀ノ介くんでなんとか気持ちを解きほぐしたりできないかなあ」

田中さん、初めからそういう目的で来たんだな。うーん、でもぼくも小さい子は苦手だなあ。
困った顔で横の紀ノ介を見ると、怒ったような笑ったような顔をして考え込んでいた。
とりあえず、宮部城に今度行ってみようかな。

元亀三年 十一月二十一日 佐吉

城下でキリシタンの人やばてれんが集まっている
イエズス会のぎょうじらしい
みに行ったらキリシタンの中に田中さんが混ざっていた
ぼくと目があったら「見にきただけじゃ、見にきただけじゃぞ」
ときゅうにうろたえはじめた。
そして今日のことは誰にもいわんでくれというので
じゃあまたこんどおかゆをつくってと約束してもらった

元亀三年 十一月二十三日 佐吉

先日おおとのが越後にどうめいをもとめててがみを出した
これってやっぱり旗色が悪いってことなのかなあ
いや、これからよくなるにちがいない
越後のとのさまも坊主だそうだ
このあいだまで坊主につけまわされていたし信玄も坊主だし
坊主ってほんとに仏さまにつかえているのかぎ問だ
あと噂で越後にぼくによく似たせいかくの小姓がいるらしい
ほんとうならいつかあってともだちになりたいなあ

元亀三年 十一月二十四日 虎之助

武田軍の軍容を目の当たりにしてニ俣城は遠からず落城すると思ってたけど
案外しぶとく持ちこたえている。たしかに川に挟まれた絶壁の上だから
堅固であるのは分かるけど、守将の人の采配が上手いんだろうなぁ。
俺もこんな狭い牢屋の狭い窓から様子を眺めるんじゃなくて、現場に行って
城攻めと防戦のしのぎ合いをこの目でしかと見てみたい。

元亀三年 十一月二十五日 未明 杉谷善住坊

佐吉は拙僧のもの。佐吉は拙僧のもの。佐吉は拙僧のもの。
佐吉は拙僧のもの。拙僧のものは佐吉。拙僧のものを佐吉に。げはは。

時は満ちた。佐吉を麻酔銃で撃ち、拙僧の性奴隷として飼育する。うほっ。
しかし、最近近江周辺の警備が厳しくなっているのが気になるが・・・
さきちあいしてるよあいしてるよさきちぃぃぃぃいいぃぃぃいぃいいぃ


そうそう、拙僧の股間に火縄の弾をこすりつけると睡眠作用が生まれるのじゃ。
この極意は少数の忍びにしか、知られてしない。この弾を佐吉の肌に擦らせれば・・・げはは

元亀三年 十一月二十八日 佐吉

竹やぶで座っていたらおしりの下からたけのこがはえてくる夢を見た
なにがのおつげだろうか?

元亀三年 十一月二十五日 与六

最近、景虎のヤツがますます調子に乗り出している。人脈が広いだとか何だか知らないけど
ようするに八方美人なだけじゃないの?まったく、柿崎弥次朗殿までそそのかされちゃってさ。
俺が思うにずっと甘やかされて育ってきた景虎に尚武の長尾家、上杉家を継ぐ資質は無いと思う。
喜平次の兄んちゃんの方が文武も秀でておまけに御館様の甥なんだから次の当主には妥当なはずだ。
まぁ単なる愚痴なんだけど、喜平次の兄んちゃんに言っても、兄んちゃんこのことに関しちゃ
何も言わないんだ。その前に兄んちゃん無口なんだけどさ。
今日も御館様の風呂の世話が終わって城内を歩いてると、景虎のヤツが取巻きを率いて歩いていた。
多少顔がよくて人当たりがいいからってなんであんなヤツにみんななびくのかな。
大体アイツ北条の人間なのに。ヘボの憲正殿までアイツを支持してる。北条は仇のはずなのに不思議だ。
兄んちゃんは父君が死んで以来ずっと普段無口だから人はあまり寄り付かないけど、
俺は絶対兄んちゃんを当主にしてみせるからな。あんな優男になんか負けないでくれよ。

元亀三年 11月25日 とだ

今日、溝口さんと城下に買出しに行った。変な人と出会った。
なんか挙動不審でこっちを見ている。
僕もじーと見ていたらあっちもじーと見ている。
そうしていたら溝口さんから怒られた・・
誰かに似てるんだけどなぁ 誰だったっけ・・?

元亀三年 十一月二十九日 加藤虎之助

今日、俺たちの入ってる牢屋に新入りだと言って増田が連れてこられた。
ところどころ黄ばんだやたら長い襟巻きをしていて
その端っこにはでかい字で「石田」とかかれている。
そういえば行き倒れの織田の間者が捕縛されたと聞いたが
まさかこいつか?
なんでこんなのを間者にしたんだろーか。

元亀三年 十一月二十九日 福島市松

暇なので紀之介と相撲をとっていたら
紀之介の鼻がもげた。
あわてて直したら何とかくっついた。びっくりした。
これだから病人は困る。

元亀三年 十一月三十日 弥三

なんでも武田信玄が本格的に兵を出したとかで、
姉川のむこうでも浅井どのがそれに応じて動いているらしくて
最近鉄砲の音やときのこえがかまびすしい。
市なんかで聞くうわさを聞いていると、
なんか武田信玄が織田に勝っちゃいそうな感じだけどなあ。
そうそう、夏に佐吉がうちにいたときにそんな話をしたとき、
佐吉は「織田さまがぜったい勝つ」と言って砂の上に日ノ本の地図を書き、
武田と織田、それぞれ領国でどれだけ兵を養えるか数字を書いて、
「織田さまは尾張・美濃・南近江・北伊勢など米のとれる豊かな領地をお持ちです。
 対する信玄は、領地は広くとも山がちで田を切り開くにも難しいところばかり、
 すでに養う兵も、織田さまは徳川どのの分も含めて7万、武田はせいぜい3万。
 さらに我がおおとのさまは戦う際に常に兵を敵より多くご用意されます。
 かようなことを考えても、我がおおとのさまが必ず勝ちます!」
そうかのうとそのときは思ったが、戦はそんな机上の計算ではないよなあ。
そうだそうだ、佐吉はまだまだただのそろばん屋だわい。
ここらでわしも、地元の衆でも率いて、浅井方につこうかのう。

で、そう思って村の宴会で若者どもを誘ってみたら、
よりによってうちの小作のたろべえに、
「だめじゃだめじゃ、賢い佐吉くんならば従っておれば一緒に出世できるかもしれんが、
 弥三さんとじゃいくさで討死が関の山じゃ」
と言われて一座でばか笑いされた。とほほ・・・
ちくしょうたろべえ、来年の小作料は倍じゃあ!

元亀三年 十二月二日 くもり 佐吉

出し抜けに父から手紙が来た。あわてて読んでみると、

佐吉どの

息災なるや。本日は、余の儀にもあらず。
昨晩、弥三 家伝来の甲冑を帯びて忍びて家を出でんとするに、
弥三が家内これに気づき、とどめんとするに「我、浅井方にて一旗あげん」とてわめきたて
家内のどどむるも聞かず暴れたて、さわぎを聞きつけし我、小作たろべえなど
にて押さえつけんとてもきかず、
ひとまず座敷牢に入れんとても我が家にはかようなもの御座なく、
やむなく鶏小屋にとりこめおき候。
されども朝になりても騒ぎ立て、わめきたて、心気の激しきことおさまるなし。
我ら一同困り果て、ここは佐吉どののお知恵をお借せんとて、一筆啓上いたし申し上げ候。

                          佐悟右衛門正継

・・・相変わらずの兄だなあ。近所迷惑っぽいし、さすがにどうかしたいなあ。
考えながら城の廊下を歩いていたら、ちょうどばったり半兵衛さんに出会ったので、相談してみた。
半兵衛さんはむっつりした顔をしていたが、あっけなく答えてくれた。「なんだ、そんなのかんたんだよ」
ということで返事を書いた。

父上へ

取り急ぎ一筆啓上す。
日々の食事に与う塩をそろそろと減らしおかば、
心気はいずれ静まるものにて候。
恐惶謹言。
                    佐吉

元亀三年 十二月一日 鶏

(人間の言葉に訳)
俺共の小屋に久々に新入りが来た。
この新入りの奴、小屋の中で俺達よりも騒いでやがる。とんでもねぇ野郎だ。
しばくぞコラ!…と思ったら、ここの兄ちゃんだった。
ったく、いい年こいてこのザマかよ。情けねぇな。

まぁ、たろべえが言うことも道理だ。佐吉の方が頭がいい。
もっとも、たろべえの方が、ここの兄ちゃんより
顔も頭も良かったがな。気の毒なこった。あいつの方がモテたしな。

っつーか、いい加減黙れよ。うるさくて寝れねぇんだよ!

元亀三年 十二月三日 佐吉

餅を焼いてキユーピー明太マヨつけて食べたら
鶏小屋の風味がした。まずかった。
兄上の病気はよくなったかなあ

元亀三年 十二月二日 雪 加藤虎之助

本格的に寒くなってきて、この土牢にも雪が舞い込んでくるようになった。
牢が北向きで、日差しが入ってこないのもたまらない。
ただ、風向き次第で二俣城のいくさの火の粉も降り注いでくる。
城の攻防戦が始まってもうすぐ二ヶ月になる。何がこの城を保たせているのか、本当に知りたいものだ。

ただ、増田が加わって、今まで広く感じていた六畳ほどの牢が急に狭く感じるようになった。
増田は、「さきち、さきち」と言いながら、首に巻いている白い布をいとおしそうに一日中なでている。
最近仲がよくなった牢番に聞いてみると、武田軍が増田を発見したときにはすでに雪に深く埋もれていて、
寒さで気が触れたのじゃないかと言っている。
そのほかにも、目がうつろだし、呼びかけても返事がないし、ひげも髪もぼうぼうだし、かなりこわい外見だ。

まあそうはいっても、増田に救われたこともあった。
夜、寒いのにうすい布団しか与えられずたまらなかったのだが、
増田が、二俣城まで届きそうな大音声で、「ふとん、ふとん」と
身も世もなく叫びつづけてくれたおかげで、なんとか厚めのふとんをもらうことができた。
ただ、彦左衛門に「羽柴家中にもいろんなひとがおるのん」とにやにやしながら言われたのが、
くやしいというか、はずかしいというか・・・

元亀三年 12月3日 とだ

今日は、暇だったので、のほほんとしてたら
うえだくんが難しそうな本を読んでいた。
僕にも読ましてもらったけど皇甫嵩将軍が、・・
まで読んだんだけどなぁ・・寝てしまって後で
溝口さんに聞いたら三国志と言う本らしい今度僕も
読破してみたいなぁ

元亀三年 十二月四日 加藤虎之助

朝、犬特有の悪臭で目がさめたら牢から増田がいなくなっていた
代わりに増田によく似た犬が牢の中にいる。
首にはやはり「石田」と書かれた長い布が。
これはいったいどういうことなのか?

元亀三年 十二月五日 加藤虎之助

増田に代わって牢にいる増田犬。
とにかくくさくてたまらないのだが、例によって首に巻かれた白い布をよく見ると、
よくわからない文章が書いてあった。

おとら殿

一、信ずるべし
三、ただ玄米を食するべし
五、さすれば病むことなし
七、むむむむむむむわーん

          増田

・・・なんじゃこら。暗号か?
彦左衛門にも見せたが、「真剣に考えたら気がくるってまうぞん」
と一笑された。
なんかありそうな気もするけど、考えすぎかなあ。

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