佐吉いちおう主人公編

元亀三年 十二月十五日 加藤虎之助

ここ数日、冬なのにすごくあたたかい。
牢の下にある天竜川も、すごく増水してごうごうながれている。

ちょっとまったりしてたら、・・・なんか川からすごい数の丸太が流れてきた。
それも、丸太の先がすごいとがっている。
なんだこりゃ?武田方がこれで渡河するつもりか?と思っていたら、
上流の二俣城のほうで「ぐわら、がしゃーん」と何かが倒れる音がして、
やぐらの壊れたようなものが流れてきた。

横の彦左を見たら、真っ青な顔をいていた。
「もうだめだのん。二俣城は、岩山の上にあるで、水は天竜川から汲み取るしかなかないのに、
 そのやぐらを丸太でぶちこわしやがった。もうだめだのん・・・」
牢の外の見張りの足軽たちは、やたら喜んで、もう落城したかのように
「信玄公、ばんざーい!、甲州軍、ばんざーい!」
と叫んでいる。

あ・・・もしかして増田犬はこれを悟ってわざと吠えて牢からにげおおせたのか?
まさか・・・

元亀三年 十二月十六日 山県三郎兵衛

先日の戦闘でニ俣城の水を断ち、落城は眼前だ。
これも御館様、風林火山の御旗の下に集う我が武田家の軍勢の力の賜物であろうと信じている。
だがここで私の脳裏によぎるのは、あの丸太を、ニ俣城の崖へ降りる櫓へうまく衝突させた乱波のことだ。
かの者、信廉殿より甲斐の山奥にいるという金掘り衆の出と聞いたが、あの勇敢さには敬服する。
丸太を流す方法は、当初は天竜川の急流により上手くいかなかったのだが、あの乱波が誘導する役目をかってでた。
その役目は丸太と櫓の衝突によって自身の命も危険にさらすもの。それをかの者は臆面も見せずそれをやり遂げた。
実に見事だった。この私でもその瞬間は胸に高揚を覚えた。かのような勇士が我が武田家にいるということが誇らしい。
その後あの乱波がどうなったか聞き及んでいないが、おそらく生きてはいまい。
勇壮な死であってもかの者は後世に名も残らぬであろう。そしてそれは私でさえも同じであろう。
たとえそれが戦国の世の常であろうとも、私はかの勇姿に一念感じ入られずにはいられない。

元亀三年 十二月十七日 大野弥一郎

茶々さまが部屋じゅうに遊びちらかしたおもちゃを「やれやれ」と思いつつ、
かたづけていたら、後ろに気配が・・・
ふりむくと、なんととのだった。
大柄でやや太り肉に切れ長の目、「美男そのもの」といわれていたとのだが、
長年の攻防戦ですっかりやせてひきしまってしまい、三十にもならないのに
老人のように考え深い表情をしている。
ぼくがあわてて平伏しようとすると、とのはにこっと笑って「ああ、そのまま」とおっしゃり、
そのまま縁側から外の雪を眺めていらっしゃった。

しばらくして、とのは「弥一郎、あの柿の木に残っている実を取ってきてくれんか」とおっしゃった。
ん?あの木は、先日茶々さまにしぶ柿を食わされたときの木だけどなあ・・・
ともあれ柿を持っていくと、とのは「ご苦労、ではその柿を食うてみよ」と。
えええ!この娘にしてこの父か?勘弁してくださいよ!
しかし主命には逆らえない。しかたなく苦いのを覚悟して思い切ってかじった。

・・・あれ、甘い!
ぼくの表情が変わるのを見てとのはうれしそうな顔をして、
「そうじゃそうじゃ、しぶ柿でも時間がたてばあもうもなるものなのじゃ。
 じっと我慢することもときに必要なのだ」とおっしゃり、さらに外を見ながら、
「小谷城のすぐ近くのあの山にも、木瓜やら永楽通宝やら、さかさびょうたんだのの旗印が山のように立っておるわ。
 わしが明日にでも討死するとしても、それはわしが決めた結果だからしかたないが、
 茶々や初が何をしたわけでもなく、ふびんじゃ。
 もしものときには弥一郎、そちには茶々を守ってもらいたい。
 茶々は知ってのとおりわがままじゃ。そちにはしぶ柿を食わされるような苦労もあるやもしれんが、
 いつかは甘くなる日もある。よろしく頼む」
といって頭を下げ、にこっとした。ぼくはただただ平伏し、涙を流すしかなかった。

元亀三年 12月17日 とだ

今日は、筒井家の使者ということでものすごい大きな人が、
城にやってきた。変える間際に、僕に「佐吉って小姓しらねーか?」
って聞いたきたから驚いた。とっさに知らないとは答えたけど
佐吉君ってすごいやこんな遠くの人でも知っているのか・・・・

僕もがんばって有名になるぞ

元亀三年 12月18日 佐吉

名前欄に佐吉って描かなきゃわかってくれない。いちおう主人公なのに。
最近くしゃみが多い・・・かぜかなぁ・・・
と思ったら市松が「お前みたいな●ちがいでもかぜを引くのかw」だって。
なんでお前に●ちがいって言われなきゃいけないんだ、って思ったけど
また蹴られるので黙っていたら、
めつきがきにいらないとやっぱり蹴られた。
僕はどうすればけられずにすむんだろう・・・

元亀三年 十二月二十日 佐吉

実家に居たときお葉とお風呂にはいって
女には股間に一物がついてないことを知った。
ショックだ。
代わりに縦に一本の線が入っていた。
用を足すときどうするんだろうとかいたくないんだろうかとか
いろんなぎ問で頭がいっぱいになった

元亀三年 十二月十九日 加藤虎之助

お昼過ぎ、なんと彦左ともども牢から出してもらえた。
なんでいきなり出してもらえたんだろうと考えながら武田の足軽のいわれるままに
ついていったら、広場に座り込んでいるおさむらいの群れと一緒にさせられた。
・・・と彦左が出し抜けに驚きの声をあげ、つぎにためいきをついた。
「あ、二俣の城将の「なかね」さまではないですか!ということは、城は落城・・・」
なかねと呼ばれた人は田舎のお百姓のおじさんみたいなぼくとつな顔つきの人だったが、
彦左を見て、落ち着いた声で
「おお、大久保のところのガキかん!余儀なき次第にて開城とあいなったわい。しかしのん、
 次の戦ではみな討死するまで戦う所存だでね」
と言った。

そのままこの人たちと半日かけて浜松まで戻ったが、悔しさを押し殺したような暗い雰囲気
のなかで、俺も彦左もとても口などきけなかった。

元亀三年 十二月二十二日 晴れ 加藤虎之助

今までのこぜりあいでけがをした人の世話で彦左や大久保家の家人とともに
浜松城に朝からつめている。
なんかいつのまにか大久保家の郎党みたいになってる気もするが、捕虜になったことを
怒られなかったのでよしとしよう。
城は朝からものものしい雰囲気。
何せ最後の障害だった二俣城をおとした信玄の大軍が今日にも浜松城に攻め寄せてくるというのだ。

昼過ぎ。遠くから風に乗って陣太鼓や鐘の音か聞こえてきた。だんだんその音が大きくなる。
信玄の軍が・・・近づいている!この建物にいるけが人も女の人も、この寒いのにひたいにじっとりと汗。
横の彦左はさっきからこきざみに震えているが、笑うことなんかできない。
暮れ八つ半、冬の日はもうかたむいている。
あれ、なんか陣太鼓が小さくなってきた。甲州軍は遠ざかっているのか?
と、にわかにすごい近くでほら貝と太鼓の激しい音がした。
敵かと思ったら、なんと徳川軍の出撃だった。
ええ?こんな不利なときになんで?びっくりするまもなく城からすごい数の兵が城を出て行った。

その後、遠くと近くから太鼓と鐘の音がし、その音がだんだん近づいていく感じがしたが、
そして、ついに鉄砲の音とときの声とおめき声が聞こえてきた。戦が始まったのだ。
部屋の人はみんな手に汗にぎって、誰とも口を聞こうとしない。
と、突然地響きのような武者押しの声の固まりとほらがいと太鼓と鐘の音がした。
部屋の人はみんなびくっとして、後ろにのけぞった。

元亀三年 十二月二十二日 続き 加藤虎之助

日が暮れた。城の外からときおりおたけびや悲鳴が聞こえてくる。
どっちが勝ったのかはみんなわかっているのか、せかせかとけが人の受け入れ準備をしている。
けが人も、自分から場所を空けている。

しばらくして青ざめた顔で次々と兵が城に駆け込んできた。
みんな真っ青な顔をしているうえに、多くの兵がどこかにけがをしている。
さらに、兵の表情はみんなひきつっていて、「とのは?」「とのは?」と口々にみんな
聞いている。

まさか、三河さま討死?とうっすら考えていたら、城の大手のほうから歓声があがり、
さらに大爆笑があがった。こっちに走ってきた武者は、大負けのあとなのに
「とのがくそを、とのがくそを・・・」と腹もよじれそうに笑い転げている。

まもなく部屋に大久保さまがやってきた。大久保さまは
「いやいや、負けたわい。こいつら頼むでのん」
とけがをした郎党をぼくらに任せると、また兵を連れて城から出て行った。
ぼくの前にすえられたけがの侍を見ると、もう意識を失っていて、大きな体中から血が
どくどく出て、傷口も深く、もう助からない気がした。けがの軽い兵に聞いてみると、
「ああ、なんかそいつは我が軍に陣借りしてた物好きだのん」
血まみれのお顔をふいてみると、端正だけどちょっと馬面な顔立ち。
ちょっと見たことある気もする。
「もし!お気を確かに持たんとあかんがね!!」と耳元で叫ぶと、
そのお侍は意識を取り戻し、
なつかしき尾張弁・・・。わしは・・・のとうはちと申す。
 兄者にわしが武運つたなく討死したこと、よろしく伝えてくれ」
というとにわかに血をはいて息絶えた。

死に顔をしげしげ見てて気がついた。どなたかの弟御が勘気をこうむって
徳川についているという話があったが、その人なのかな?

元亀三年 十二月二十三日 佐吉

お城があわただしい。どうやら三河殿が武田に大負けしたらしい。
どうでもいいじゃないかと思ってたら、
権兵衛さんに「信玄坊主の目的は京と美童の穴なんだぞ!織田家にとってもお前にとっても大変じゃないか!?」
って言われて、全身から冷や汗が吹き出た。
そしてどうも、おおとのの発案で織田家中の美男子小姓がこの横山城に集められるらしい。
シュウドウに興味のないとのが最適だってさ。
一瞬そんなことするひまあったらいくさの準備しろよと思ったけど、
口に出すと首が飛ぶので黙っておいた。

元亀三年 十二月二十五日 佐吉

タンスの整理をしていたら僕のふんどしがだいぶ減っていた
きっと市松が間違えて穿いてるにちがいない
紀之介かもしれないけど・・・・紀之介ならまあいいか
タンスの奥のほうからくしゃくしゃに丸められたふんどしが出てきた
広げると糊で固まっていたようにパリパリしていて
ちぢれた毛がたくさんついていた。
洗濯に出したらおさんどんさんに
「佐吉も大人になったがのう」とニヤニヤされた
どういう意味かわからない

元亀三年 十二月二十三日 雪 加藤虎之助

昨日俺の前で亡くなったお侍の体を清めようと衣服や具足を脱がせようとしたら、
ふところから一枚の書状が出てきた。書状は血にまみれて読みにくくなっていたが、
こんな内容だった。

佐脇藤八どの

桶狭間における先駆けの功、まことに他の侍どもにも抜きんでたものであった。
この貴公の勇戦を貴公の子孫に伝えるべく、ここに感状を送るものである。

                        五月二十二日
                         信長(花押)

ああ、織田家を追放されたという前田又左どのの弟さんか!
しかし、この感状をこうして死ぬまで肌身離さず持っているとは・・・
何か自分のなかでじわっとくるものを感じていたら、後ろから吠えるような泣き声が。
見れば大久保のご当主だった。
「あわれだのん、あわれだのん。かくも主君を想うておっても主家を追われ、
 こうして異郷でしかばねをさらすとは。むくわれん話だのん」
次弟の次右衛門どの、そして彦左もいつのまにかいて、こみあげるように泣いている。
しばらくしてご当主が思い出したように、
「おお、おお、弥八郎のことだがん。同じくしんから徳川家を思っておったやつまで、
 かようなことになってはわしゃ耐えられんぞん!なんとかせにゃのん」
というと、次右衛門どのも彦左もはげしくうなずいた。
聞くと、一向宗の信仰の問題で徳川家から出て行かざるを得なかった方らしいが、
どこの家にも本当にその家に忠義を誓っても、その家にいられなくなる人というのはいるらしい。
俺にはまださっぱりわからないけど、大久保兄弟が男泣きに泣き続けるのを見て、
ご奉公というのはどうも思っていたよりとても難しいのかなと思った。

元亀三年 十二月二十三日 福島市松

たいした仕事も無いので歌を歌いながらやってたら殴られた
仕事が終わってから歌を歌っていたら隣の奴にうるせえと殴られた
仕方が無いので音が漏れないようにでかい桶を持ってきてそれに向かって歌を歌った
ちくしょう

元亀三年 十二月二十五日 木下小一郎秀長

午前 首脳陣で会議
午後 家臣一同と御前軍議

 今日は一日中、打ち合わせをしつづけた。
 午前中は殿、蜂須賀殿、竹中殿らと情報報告。はっきりいって、いま織田家をとりまく環境は良くない。
 北は浅井家、朝倉家が粘ってる。西は三好三人衆が、大和では松永が、そして東では三河で武田が徳川殿を破った知らせが届いた。
 今の段階で、すべての話を家臣たちに話すのはいいのだろうか?
 木下家はもともと血の繋がりがあまりない。殿の生まれが百姓ゆえ、織田家中でも評判がよくないし、妬みも多い。
 それゆえ、家臣の忠誠は銭によるところが大きかった。だが、今は目の前の恐怖に、打ち勝つことはできるだろうか?

 歯がガタガタ鳴るくらい肝が冷える時、いつもあの言葉を思い出す。
 「さむらいっちゅうもんは、腕力ではにゃぁ。ここ、肝よ。怖い時ほど、歯を食いしばれる、それが度胸だ。」
 殿は蜂須賀殿のぼやきを聞きながら、いつも軽口を忘れない。だが、内心は非常にどうすれば状況を変えられるか焦っている。
 その城主としての体面を守っているのが、度胸だ。
 
 そういえば、城内では小姓たちが一番元気で士気が高い。
 「敵が来たら、俺がやっつけてやづだぎゃぁ!」
 どうやら、私よりも市松たちの方が度胸がありそうだ。

元亀三年 十二月二十七日 加藤虎之助

あのおおいくさの後、武田軍は浜名湖の北岸にとどまって動かない。
どうやら今なら街道はまだ通れそうだし、佐脇どののご遺髪を早く又左どのに届けたいので、
大久保のご当主にいとまをこうことにした。
大久保殿はなごりおしそうに「そうかん、またおいでんよ」と言い、さらに
「ついでだでとのの顔を見てくかん?」と気楽に言うので、お目通りすることにした。

お昼過ぎに三河さまにお会いしたが、何か困ったようなような顔をしていた。
「三方ヶ原で負けてから、こんな顔しかできんくなったわ」とばつの悪い声で
おっしゃっていたが、「織田どのにこれを頼む」と書状を渡された。
見てよいというのでのぞいてみると、

ふゆのかせ、まことにたけたけしく
たけ ちよにおうるあたはす
おたのみもうす
唇亡歯寒
          じろさぶろ

「わしゃ学がないでこんなのしか書けんが、まあよろしく頼むわ」
と三河さま。ようわからんが、岐阜まで持っていくか。

元亀三年 12月28日 とだ

今日は、いつもどおり僕に仕事がなかった・・・
いじめられてるのかなぁ?途中で、うえだくんを捕まえて
木の棒を使って戦った。うえだくん強い強い強い僕の何倍ぐらい強いんだろう?
計算してたら、もう夜になっていて、溝口さんと桑山さんに怒られた・・・
なんだか疲れたなぁ・・・

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