紀之介療養編

元亀四年 一月十八日 佐吉

紀ノ介をまなせという方に預けてきた。
何でも畿内いちの医者らしい。
それなら紀ノ介の病もなおるよね。

帰りは少し寄り道して、淀川に連れて行ってもらった。
淀川といったら萩がきれいだときいたけど、あいにく季節のせいか丸坊主だった。
領民の人に「秋になったらここはさぞきれいでしょうね」と尋ねてみたら、
どうもここの人たちは生えたら直ぐに萩を狩ってしまうらしい。
もったいないことするなぁ。

元亀四年 一月十八日 仙石権兵衛

 京だ。花の都、京にやってきたぜ!陽気のせいかな?道ですれ違うおなごを見るたびに、なんだか勝手に興奮しちまう。
 役目もきちんと忘れずに。大谷を医者のところへ連れて行った。
 その口ひげ生やしたおっさんが、俺にこういった。
 「あの子を治すには、三千貫の治療費が必要です」
 「よし、わかった。ぜひに頼む」
 二人の見ている前でかっこつけたかったから、おもわず即答した。
 金は誰が出すんだろうな?まぁ、後で報告しておけばいいだろう。
 さぁ〜〜て、京見物いくぞ〜〜。

元亀四年 一月十九日 大谷紀ノ介

 佐吉も権兵衛さんも帰ってしまった。ぼくだけ病院でこれからすごすことになる。
 曲直瀬先生は変わった先生だと思う。とくに銭にがめつい。がめついといっていいのかよくわからないけど、自分が診察する場合は、とてもじゃないが払えそうにない金額を要求する。
 貴族の娘が犬にかまれた →五百貫
 あきんどが喧嘩であばら骨を折った →千貫
 居酒屋の女中が仕事中に卒倒した →一年間ただ酒
 どれも基準があいまいで、病気や怪我で支払う金額を決めているわけじゃなさそうだ。
 どうやら、相手を見て払う金額を決めているらしい。しかも、金の取り立ても自分自身で行う。
 そういう自分の分もこわくなったんで、先生にいくらかかるのか聞いてみた。
 「おまえはただ病気をなおすことだけに専念しなさい。ただ、おまえの病気は、薬を手に入れるのに費用がかかる」
 薬さえ飲んでいれば治る、といわれたので、病院の身の回りの仕事を手伝うことにした。

元亀四年 一月二十一日 大谷紀ノ介

今日もまなせ殿の仕事をてづたっていたら、突然
「医者の端くれとして忠告させてもらう。今すぐ侍なんぞやめた方がいい」言われた。
びっくりしたけど、僕の病で侍勤めなんて無茶だと言う事だそうだ。
「人間五十年とどっかのうつけが謳ってるがね、私に言わせりゃ人は百二十年は生きられる。
でもお前さんの体で侍勤めなんてやってりゃ、もってあと10年だろうね。」
そう言い放たれた瞬間、体中が冷たくなるのを感じた。それでも僕は、
「あと十年あれば、友達の成人を立派に見届ける事が出来ます。」とだけ言った。
まなせ先生はそれっきり、何も言わなくなった。怒っちゃったのかな。

元亀四年 一月二十三日 佐吉

実は、まだ京にいる。
権兵衛さんはここ数日昼過ぎに起き、夕方になると満面笑みを浮かべていそいそと出かけて
いってしまう。いったいどこに行っているんだろう。
それに紀ノ介を治すのに三千貫文もかかり、権兵衛さんが承ってしまった話・・・
そりゃあ紀ノ介には治ってほしいが、どう考えても高すぎだ。
おかしいと思って、実はあのあとすぐに小一郎さまに手紙を書き、北近江に行くという馬借に託した。
実は権兵衛さんは頭金としてまなせさまに三百貫渡してきたのだが、
とのにもらったお金は五百貫で、その残額で遊びほうけてるんじゃあ・・・

そんなことを安宿の畳の上で考えていたら、いきなり耳元で山伏姿の人に声をかけられた。
見たら小一郎さんでびっくりした。
「手紙大儀、おまえと言うとおりだがね。これからまなせ先生のところに行くので案内せい」
とるものもとりあえずまなせ先生のところに行くと、小一郎さんはおがむように
まけてもらうよう頼み、三千貫をなんと千貫にしてもらっていた。
まなせ先生も、「いやあ、まさか三千貫を受けてもらうとは、高く評価してもらったものと思っておったが」
と頭をかいていた。

まなせ先生の家を出ると小一郎さまは間 髪を入れずに山伏の服をぼくに渡し、
「このまま北から鞍馬山を抜けて京から逃げるぞ」
ぼくがどうして、と聞こうとするまもなく
「将軍さまの兵によって、蹴上も北白川も大谷も関所が設けられて東へ通ることはできん
 じゃからわしもこの格好で忍び込んだのじゃ」
げっ!じゃあ外出してる権兵衛さんに連絡を・・・
「あんなやつどうでもいい」
吐き捨てるように小一郎さんは早足で歩いていくので、あわててついていった。
鞍馬山の山中を越え、そこから東に折れて山をくぐって琵琶湖沿いのわにの浜に出て、
そこから銭で大きめの漁船を借りてやっと横山まで帰ることができた。

元亀四年 一月二十二日 仙石権兵衛

羽化登仙って言葉があるが、京はまさにそんな感じだなぁ。
四条河原のお姉ちゃんは艶っぽいなぁ。
なんか、こう、今の俺は全力で生きている感じがするね。
この先つらいことがあっても、京の夜の思い出が、すべての活きる力となってくれそう。

元亀四年 一月二十四日 仙石権兵衛

 昨日の夜に店に入ろうとすると、入り口のところで男と女がもめていた。
 「離してください!」
 「堅いこというなよ。な、な?」
 女が嫌がっていたので、男に近づいて、手を絡め取った。
 「無理強いをするな。嫌がっているじゃないか。男の風上に置けん奴だ」
 すこし痛い目に合わせたら、男は悪態をついて去って行った。
 女からお礼を言われた。顔を見れば、年も若く、今までに出会った中でも一、二をあらそう位の美人。
 「私、この先の湯屋で勤めているお香っていいます。あの、お礼をしたいのでこれからお店にいきませんか?」
 「美人の誘いは断らないことにしているんだ」
 店は、路地裏にある小さな店だった。お香は話もうまく、そして艶っぽく。首の白さとか、うなじとか。見えそうで見えない太ももとか。
 
 気がついたら四条河原で仰向けになっていた。懐にあった財布がない。美人局だった。
 ……ハァ、京って怖いところだな。

元亀四年 一月二十四日 つづき 仙石権兵衛

 酒に入れられた薬のおかげで頭がフラフラしながら宿に帰ると、佐吉がいない。
 すでに引き払ってしまったらしい。あれぇ?急用でもできたのかな?
 大谷のいる病院の先生(なまえ覚えづらいんだよな)のところに行くと、昨日ここに来た後、
すでに京を出てしまったらしい。
 「将軍様の軍勢が京都の出口を固めているらしいぞ。お前さん、こんなところで油売ってていいのか?」
 いけねぇ!このままじゃ帰れなくなっちまう!?慌てて粟田口に向かうと、すでに兵士でビッチリうまってる。
 日も暮れるし、一度京へもどろうとすると、銭がまったくないことに気づいた。

 ……やべえ、無一文だ。

元亀四年 一月二十四日 お香

昨日引っ掛けた男は一体誰だったんだろう。
あんまりお金は持ってなさそうだったけど、馬鹿っぽかったから引っ掛けてみたら…
財布を開けてびっくり。二百貫も入ってるじゃない!!
ああ見えてどこかの御曹司だったりしたのかな。
思い返したら、確かに私の周りの男とは全然違う人だったし…。

あれ?私今、またあの男に会いたいって思ってる?!
い、いや、違うよね、きっとこれはまたアイツのお金が欲しいだけなんだわ!そうよ、だって凄く馬鹿そうなんだもの!


明日ちょっと探してみようかな…♪

元亀四年 一月二十五日 佐吉 

 いまだに権兵衛さんが帰ってこない。探しに行こうにも、京へ行くに時間がかかるのでなかなか難しい。
 小六の親分さんは、
 「アレは脳みそが足りん馬鹿だが、要領はいいからきっと戻ってくる」
 という。権兵衛さん、バカだって言われてるのに、ほめられてる。
 ボクが親分さんに、権兵衛さんもかっこいいところがあったって、助け舟をだした。
 「いや、ああみえても見栄っ張りなところがある。自分の力量以上のものを求められたとき、
はたして本当の力をだせるかどうか。そこが馬鹿なんだよな」
 今日も親分さんの毒舌がきわだってる。山賊みたいなのに、ちゃんとよく人をみているなぁ、
と思ったのは心にしまっておこう。

元亀四年 一月二十六日 仙石権兵衛

 大谷のいる病院へ行く。ちょうど大谷がいた。
「権兵衛さん、お見舞いに来てくれたんですか?」
「おう」
「おかげさまで、最近からだの調子が良くなってるんですよ」
「それはよかったじゃない」
「なんでも日の本では採れない薬だそうです。費用もかかるって先生言いますし。ぼくだけこんなに迷惑をかけてしまって」
「……いや、いいんだよ。困った時ほど助け合わなきゃな」
「ありがとうございます。今はお金はないけれど、いつか、みんなにこの御恩をお返ししますから」
「……なーに、余計なことを考えなさんな。みんな、大谷が良くなることを願ってるから」

そういって別れた。俺、大谷に金を借りに行ったのに。なんでいっつも、よけいな見栄をはっちゃうんだろ。
今日も橋の下でうなだれる。

元亀四年 一月二十七日 はれ 仙石権兵衛

 横山からもってきた槍とか小道具類いっさいを質に入れたが、それも今日の飯代で尽きた。
 土手で寝そべりながら考える。いかにして関所を越えるか?
 と、そこへ名も知らぬ貧乏くさい男が声を掛けてきた。
 「あんちゃん、腹いっぱい食わせてもらえるところがあるってよ。おめぇも来ないか?」
 なに?それは聞きづてならん。二つ返事で男についていった。
 そこは同じような無宿人が数多くたむろっていた。たしかに炊事は出ているようだ。
 久しぶりに米を食った。涙がほろり。
 隣では汁物まですすった。具もいっぱいで味噌の味も濃い。
 その隣では服まで戴いた。なんだか貰いっぱなしだな。
 で、そのまた隣で胴丸と手槍を渡された。
 ……あれ?そういえばここって?胴丸や旗指物に描かれている丸に二つ引きの家紋は……足利家?
 飯の食いたいがために、俺ってば敵中のど真ん中に来ちまったみたい!
 まずい、顔が割れないうちに、はやくここを退散しないと。
 「そこのお前、何をキョロキョロしてるんだ?」
 「い!……いいえ。何もあやしいことなんてないですよ」
 身元が割れて、大勢に囲まれて袋叩きにあう絵が、頭に浮かんだ。
 「ははぁ。お前いくさははじめてだな?なーに、いくさなんてたいしたことねぇ。
 場数を踏めば、自然と体が動くようになるって」
 ひとまずばれてはいないようだ。
 「よし。お前も今夜一緒についてこい。うちの大将が夜討ちを仕掛けるってんで張り切ってるからな。
 うまくやれば、侍にとりたててもらえるぞ」
 なんだってー!?

元亀四年 一月二十七日 はれ 羽柴秀吉

佐吉、虎、市松達の首を女子に挿げ替えて想像するが
最近はあやつらも、成長したせいかまったく反応しない。
仕方ないので市様でやることにした。あまり気持ちよく出ない。

ねねとやりたいが、ねねとやると腰がめげるので控えている。
戦では乗る立場だが、床では乗られる立場だ。
乗られるのがこんなに辛いとは・・・馬を労わろうと思う。

元亀四年 一月二十八日 はれ 仙石権兵衛

 深夜、砦をはなれた俺たちは、織田方の陣へ夜討ちを仕掛けに裏街道を進んでいる。
このまま織田家へ投降できたらいいのに。
あの少し抜けてる親切なおっさんは、片時も俺の側を離れない。そして、しきりに自分の武勇伝を聞かせてくる。
「そういえば、織田家のどの部将に、夜討ちをしかけるんですか?」
「ああ、なんでも元家来の逆賊・十兵衛の首を取るのが狙いだとか」
明智かよっ!?ますますマズイ。家中一砲術に優れたあの軍に飛び込むなんて、飛んで火にいるなんとやら。
そうこうしてる間に、いよいよ夜討ちが始まった。
みな声を張り上げて、切りかかっていった。ところが、明智陣では明かりが点いておらず、人の気配がまるでない。
やな予感……。周りの奴らが篝火を付け出した。
一瞬、体を地面に伏した。左右から轟音が引き裂くように響き渡る。あたりはすべて血の海と化した。
明智流・十字撃ち。俺たちの行動は、すべて明智に筒抜けだったようだ。
そして篝火の点火が左右からの弾幕射撃の合図となったんだ。
あの轟音のせいで、耳鳴りがひどい。立ち上がれないから、転がりながら逃げた。
その後は、無我夢中でかけだした。今思えば、走ってはつんのめり、走っては転び、
むしろ逃げる時の方が痛い目にあった。
まったく、種子島を撃たれる経験なんて、そうそう味わえるもんじゃないよ。

元亀四年 一月二十九日 くもり 佐吉

お城の書院で、えらい人たちが集まって権兵衛さんの処遇について話し合った。
ぼくも、証人としてその場に参加することになった。

いつになく小一郎さまが強く権兵衛さんの処罰を主張した。
それに、小六の親分や将右衛門さまが日頃の槍働きに免じて勘弁してやってくれとかばった。
ところが、それに小一郎さまが憤激されて、すごい強い口調でこう言った
(でも、尾張弁って迫力には欠けるなあ)。
「親分、将さん。そりゃあ、おみゃあさんがたの言うとおり権兵衛の武勇はどえりゃあもんだし、
 やつに我が軍が救われたことも何度もあるわ。けどよお、これから羽柴家も大きくなっていき、
 権兵衛も一緒に出世させてきてぇゃあのに、このながらっぱちのままじゃあ、まずいんだわ。
 ここで処罰することこそが、やつのためになることをわかってほしいんだわ。
 わしはこのままだといつかやつがどえりゃあ失敗をしそうで、心配でかんわ」
親分も将さんもだまりこんだ。しばらく間があいて、いつもあまり存在感のない杉原さまがおずおずと
「権兵衛のこともええがよお、まだ曲直瀬先生に払ってにゃあ七〇〇貫分、どうすりゃええがね。
 まもなく大殿から出兵の命令も下るかもしれんのによお、軍費が足らんのじゃあまずいがね」
また間があいた。今度は問題がより深刻なのか、みんな下を向いている。
半兵衛さんが口を開いた。
「先の三方ヶ原の合戦で、佐久間右衛門どのが多くの家中の武者を討死させたと聞いております。
 権兵衛は音に聞こえたさむらい。権兵衛を出すといえば、ひとかたならずお礼を下さるでしょう」
とのが顔をを上げて真っ赤に反論した。「権兵衛を人の家にやるのか。そんなことができるか!」
半兵衛さん「くれてやるのではありません。貸してやるのです。で、佐久間殿からは貸し賃を頂くのです。
一座はまた黙り込んだ。みんなが権兵衛さんに愛情を持っていることがよくわかってうらやましかった。
でも、権兵衛さまはことがこんな大きくなってるのをわかってるのか?

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