羽柴家小姓三人+増田みすてりーつあー 坊主もいるよ!編

元亀四年 二月一日 あめ 羽柴秀吉

雨が降っていたので領内の見回りを中止にする
女子をかどかわしたかったんだがなぁ


そういえば、最近松永の動きが活発らしい
松永の動きを探るついでに
筒井の坊主に美女の尼さんでも紹介してもらうかなぁ
未亡人なんかたまらんなぁ


そうと決まれば誰を送るか……

小姓達の見聞を広げてやろうと思ったから
佐吉と虎と市松に行かせるか

むむむ、小姓達だけじゃ心配だから増田を同行させるか

佐吉に手紙を渡す
美女な尼さんを連れ帰ってくるといいなぁ

元亀四年 二月二日。 浅野弥兵衛

とのが小姓どもを大和に出立させるというので、安全な街道はないか調べてみた。
だが、本街道はそもそも公方によって京がふさがれ、その手前も近江の堅田か石山を通過
せにゃいかんがそこも公方の手勢がわんさかいる。

他の街道も考えたが、近江草津から南に折れて甲賀を通るとなれば六角やそれに与す土豪がまだおるし、
なにより危険極まりない伊賀を通らすのはまずい。
伊勢を下って和歌山街道を桜井まで抜けて大和郡山に抜ける手もあるが、
和歌山街道の入口には不穏な姿勢を見せている北畠方の大河内城がある。
北に大回りして丹波路を南に下る道も考えたが、まだ越前・若狭の雪は解けていない。

たまりかねてとのに「なぜかように危険な形勢で大事な小姓どもを大和
にやるんですか?」と聞いたが、とのはにやにやするばかりで答えなかった。
ははあ、女か!そうでなければ我がとのがこんな無謀なことを考えるはずもにゃあわ。
はあ、しょうもない・・・

元亀四年 二月三日 佐吉

 市松たちと大和に向かって出発した。目的は大和郡山城の筒井様にお目見えして、とのの文をお渡しすること。
 出発の際に弥兵衛さんから、
 「道は蒲生郡を抜けて亀山に向かい、伊勢街道を西にすすんで大和に入りなされ。
 くれぐれも伊賀、甲賀には近づかぬこと。あと、松永のいる多聞山は、警戒が厳しい。
 ここも側に行くなよ」
 と教わった。地図ももらいながら、丁寧に指示をくれる。
 「あと、文を渡したら、あとは筒井殿の指示をあおげ」
 「弥兵衛さんも心配性だなぁ。まるで子供の使いだよ」
 「たわけ。城を出たら、命を守るのは自分自身しかないゆえ、ワシはこうまで気をもんでるのだがね」
 軽口を叩いた市松をしかった。僕も同じ気持ちだったから、ちょっと気を引き締めた。
 「いいか、自分の身を守るのは自分じゃぞ。お前たちも痛い思いは嫌だろ?」
 「うん。掘られるのも嫌だなぁ」
 市松の一言でみんなが大爆笑。ぼくはなにがおもしろいのかがわからなかった。
 それじゃ、しゅっぱーつ!
 
 ……でもなんで増田くんも一緒に行かなきゃいけないんだろう?
 旅行中はなるべく離れておこう。

元亀四年 二月三日 増田

ゲヘ、ゲヘヘへ。まさかいとしの佐吉と、こうして何日も一緒にいられるとは、夢みたいだわい。
ただ、市松と虎は邪魔だのう。なんとか二人きりで愛をはぐくめないだろうか?
と、そこへ殺気をもった男が笠の中からこちらをにらんでいた。
「佐吉が城を離れたのでいい機会だと思ったら、どうやら貴様も同じ思いのようだな?」こ…コイツはいつかの変態坊主。
「佐吉はそれがしがいただく。それを言いにきた」
と、いったら足早に去っていった。
くっ…上等だ。佐吉はわしのもんだ。

元亀四年 二月五日 佐吉

日野に入った。
ここは蒲生忠三郎さまの本拠地。ちょうど横山城にいらした忠三郎さまとその手勢も一緒だったので、
とっても安心な旅だった。増田くんはすごくつまらなさそうに後ろからついてくるだけだったが。
忠三郎さまは「甲賀を通らぬとあらば、御在所岳の脇の間道を通って伊勢の菰野に抜けねばならん。
まだ雪ものこっとるし、ちょっと子供らにはきついかもしれんが、大丈夫か?」
市松が子供ということばにかちんときたのか、「蒲生さまのお手は借りん!」とどなった。
忠三郎さまもあまり市松が好きではないようで、「間道の入口までは送るが、あとはしらんぞ」と
市松の目を見ずに話した。

で、今はこうしてけもの道に近い山あいの道を登っている。
霧が深くなってきた。あれ・・・市松も虎之助もいつのまにかいない。
前をみたら増田くんがじっとこっちを見てる。「ようやく二人になれたね」
うへええええ!だ、誰か助けて!!ぼくが逃げようとすると、後ろから
「待てい、増田」と叫ぶ声、助かったと思って振り向いたら、げえええ、坊主!
増田くん「ゲヘ、ついに雌雄を決するときが来たようだな」と槍を構え、
「雌雄っていっても俺らどっちも衆道好みだけどな」と不敵に笑って仕込み刀を下段に構える坊主。
霧の御在所岳近くの山道でよくわからない勝負が始まった。

と、霧のわずかな晴れ間から、向こうに虎之助と市松の頭が見えた。
彼らはほって先に行くことにしよう。

元亀四年 二月五日 冬姫

冬は……………とても居心地が良い……。

今日……城下から猿がキモい目で見てきた………
…だから…………猿の鞍にカラシを塗っておいた………
今頃……ふふふ…のたまっている猿を…猿を…ぉぉおお……
想像するだけで……フフフ……あぁ………体がゾクゾクする……。

元亀四年 二月七日 紀ノ介

佐吉から手紙が届いた。松永弾正の動向を探りにいくんだって。
ちょっぴり羨ましくも思ったけど、弾正と言えば三国一の悪党と呼ばれる人じゃないか。
大丈夫かなぁと心配していたら、
横で聞いていたまなせ先生が、「あいつは言うほど悪党じゃないから心配するな。」だって。
「お知り合いなのですか?」と聞いてみたら、「子供に言っても分からん間柄だ」と答えた。
・・・なんとなく、増田殿の顔が浮かんだのはだまっておこう。

元亀四年 二月六日 増田 

 ワシと坊主の勝負の決着は、お互いを刺しあって極まった。
槍をかまえてたがいに円を描きながら隙をうかがい続ける。
「コイツ……できる」
見事なくらい隙を見出せず、その構えは美しさを感じるくらいだった。
ふと目を見ると、坊主が涙を流してるのに気づいた。指摘しようとすると、
「あんた、泣いてるぜ……」
えっ?ワシも泣いてるのか。そう、佐吉を渡したくないという思いは強い。
しかし、それと同じくらい、この坊主の実力の素晴らしさはどうだろう。ワシは素直に感動していた。
坊主は切りかかってきた。槍の柄を狙われ、穂先を切り落とされた。
坊主は刀を振り上げて、頭を狙って切り下げてきた。後ろに下がって、刀が地面にめり込んだところを手首を蹴り上げる。
お互いの手に得物がなくなると、素手で殴りあった。
「さ、佐吉はワシのものだ……ゲヘッ」
「さ、佐吉はそれがしのものだ……ゲハッ」
最後の力を振り絞った一発をはなった。それで、もう、坊主は起き上がれなかった。
「アンタ、見事だぞ」
「お前さんこそ。途中から憎い気持ちなんてどこかにいってしまった」
「フ、それがしもだよ。……増田、それがしを掘ってくれ」
そう言われると、だまって袴を脱いだ。言われるまま掘ってやった。
「貴様もワシを掘ってみろ」
お返しとばかりに掘られた。二人でフルチンで見た朝日は、新しい友情を称えるかのように美しく登っていった。

元亀四年 二月六日 羽柴秀吉

あぁ、尻が痛い、痛い
尻を撫でておったら小六が「殿も衆道に目覚め申したか」とか、言いおって
衆道などに誰が目覚めるものか

むしゃくしゃしたので村娘をかどかわそうとしたら
ねねに見つかった


うわねね何をする半兵衛わざとらしく咳などしてないで助

元亀四年 二月八日 松永弾正

早朝、道三医師より早馬が来た。
書状には『美童が大和へ向かいたる段、名は佐吉にて候』と簡潔に書いてある。
伊賀忍を放って捜索を続けているが濃霧地帯もあり発見できていない。至極残念。

追記、忍びの者が『間道において悪鬼を見た』などと言っていた。
さては果心めに誑かされたかと一蹴するも、あの忍びは随分に怯えていた。
珍なることよ・・・

元亀四年 2月8日 とだ

風邪にやられていた。本当に死ぬかと思った。
あしかがのばか将軍を討伐するらしいんだ。僕も行かなくちゃ行けないのに・・
溝口さんに寝ておけって言われた。ちぇ・・・・

元亀四年 二月八日 佐吉

 山道ばかりで、足のうらはすごいことになっている。まめの上に血まめができるかんじ。
虎も市も、つっつくようにせかしてくる。でも、そんな早く歩けないよ。
 「弥兵衛さんも言ってただろ。ここらは伊賀に近いんだから。急いで抜けておかないと危ないって」
 そんなこと言っても、もう……足が動かないよ。おねがい休ませて。
 小便をすることで、小休止をもらった。奥の森に入っていって用を済ませる。すると、看板が立ってあった。
 「この裏みるべからず」
 そう言われると余計見たくなっちゃう。裏に回りこんだ瞬間、急に体が浮き上がった。
 なにかの仕掛けにかかっちゃったようだ。叫び声を聞いて、二人は駆けつけに来てくれた。
 すると、あたりからぞろぞろと人が出てきた。
 得物を突きつけられて、刀を奪われてしまった。
 伊賀の地侍っぽいけど、なんで捕まったんだろう?
 「久方ぶりに獲物がかかったが、みれば童が三匹。これは久々に楽しめそうだ」
 ちょっと!?どーなるのぼくたち!?

元亀四年 二月九日 加藤虎之助

 佐吉のせいで三人とも捕まって、砦に連行された。
 昨日は土蔵の中で一晩過ごした。市松は、
「俺は掘られたくねぇな……」
と、しきりにぼやいていた。朝、土蔵から出されて、長らしき男の前に引っ立てられた。
「お前たちの持っている書状の中にある、虎之助とはどいつだ?」
その顔の長い、陰気な目をした男は聞いてきた。自分だということを言うと、しばらくじっと見られた。
「どうやらこちらの手違いのようだ。貴様たちを放そうと思う」
といわれた。すると、騒然となった。
「何を言われます、本多殿。この者たちは我らの仏敵・弾正忠の手のもの。ここで手放せば、顕如法主より、
おしかりを受け申す」
話からすると、こいつらは一向宗のやつららしい。でも、なんで?
「虎之助とやら、大久保の末の弟は、どうだった?」
「三河の彦左衛門のことですか?ええ、うるさくて、おまけに泣き虫なガキでしたよ」
なんでそのことを知ってるのかたずねた。
「ここに居れば、ありとあらゆることもわかる。信長がいつ糞に行くのも、はげねずみの頭に残ってる髪の毛の数もわかる。
まして、三河は私の生まれた地だ」
そう言われて、思い出した。たしか浜松で彦左衛門たちがいってた、離ればなれになっている人って……。
「義理は果たしたぞ。次はないと思えよ」
俺たちの荷物と書状も返してもらって、砦から出ることを許された。
後で、市松に説明しろと言われた。
俺だって良くわからんが、彦左衛門のおかげで助かったってことになるのかな?

元亀四年 二月十日 増田

愛しき佐吉を見失い坊主と一緒に探す
佐吉の匂いを辿ってみると「この裏見るべからず」と書いた看板がある

坊主とともに裏を見てみると
あっというまに縄で縛られてしまった

いったいどうなるのだろう



ぐへへ
縛られた坊主を見たら興奮してきたわい、ぐへへ

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